家庭も学校も「性教育」を嫌がる
性教育映画はトレンドとなり、映画スターたちは、性教育に後ろ向きな家庭や学校に代わって国民に性や生殖に関する正確な知識を広める急先鋒になった。
「僕はドナー」以来、ありとあらゆる性や生殖に関する映画が作られるようになった。従来のインド映画では、妊娠や出産の場面は生々しい映像や話題になりがちなので、そそくさとやり過ごされることが大半であった。
新婚の女性が嘔吐し、妊娠が告げられ、妊婦の10カ月はソングシーンなどでそそくさと語られて、一瞬だけ分娩中の女性の苦しい顔が映し出され、次の瞬間には赤ちゃんの泣き声が響く、というのがパターン化された妊娠・出産の描き方であった。
そのもっとも避けられていた部分が映画の中心テーマに躍り出たのである。映画なので、一般的な妊娠・出産よりも物語性のある特殊なものの方が好まれる。「僕はドナー」が直接切り開いた不妊治療分野の映画もさらなる発展を見た。
偏見の強い「代理母」の理解が広まる
不妊治療の中でも代理母やそれに類する手段は早くから映画の題材になってきた。正確には代理母と呼べないが、健康な母胎を持った娼婦が不妊の妻に代わって子を宿す筋書きの「Chori Chori Chupke Chupke〔黙ってこっそり〕」が既にあったし、「Filhaal…〔とりあえず…〕」では初めて本格的な代理母がストーリーに組み込まれた。
ただ、これらの映画での代理母の取り上げられ方は興味本位の域を出ておらず、本格的な代理母映画の出現はそれ以降となる。なぜならインドで代理母が合法になったのは2002年だからである。
代理母は身近な不妊治療手段となった他、インドは物価の安さもあって不妊に悩む外国人夫婦の駆け込み先ともなり、代理母ビジネスが一気に花開いて巨大産業化した。ただ、問題も多かったため、2015年から規制が強化され始め、現在では本当に子供が必要で不妊に悩むインド人夫婦のみが代理母を利用できる状態になっている。
インド社会では精子ドナーと同じく代理母に対しても非常に偏見が強かったが、「Badnaam Gali〔汚名の路地〕」や「Mimi〔ミミ〕」といった代理母を主題にした映画が作られ、その払拭が図られると共に、代理母を巡る問題にもメスが入れられた。

