「差別」を認め「公平」を実現
これに対し、現実の状況に鑑みて、女性を優遇する政策を取ろうというのが、公平性の実現であり、右側のイメージとなる(Equity)。
過去から現在に至るまで女性が不当に扱われてきたことを念頭に、女性専用車両や女性枠の導入などの差別的な政策をあえて導入することで、公平性の実現を目指そうというものである。現状が不平等であるので、女性(最も身長の低い人)を手厚くサポートすることで、ようやく男性(最も身長の高い人)と同じスタートラインにたてるということである(野球の試合が見られるようになる)。
ここでは、一度みんなが同じスタートラインに立つことができれば、自由な競争の中で、誰かが得をして誰かが損をしても、それ自体は問題ではない。また、当然のことではあるが「スタートライン」が何を意味するかは、施策や人によって異なる。女性枠について言えば、スタートラインとは、入学、就職、昇進の時点で女性を優遇的に扱うことであり、その後は自由な競争をしてもらおうということになる。
「公平」の実現こそが社会の「正義」
現状、女性として生まれてきた人は、女性というだけで何らかの社会的評価を背負って生きねばならず、その社会的評価は往々にしてその女性を格差の敗者にしてしまう。女性自身は何も悪いことをしていないので、性別(や人種などその他の属性も含めて)に関係なく、誰もが公正な仕組みのもとで、自由な生活を営むことができるようにするのは、社会の集団的責任であり、正義である。
哲学者のジョン・ロールズが「正義は社会制度の第一の美徳である」と言っていたように、社会がうまく機能するために、多くの人がこの「社会的な責任」を持つことは重要かもしれない。
そしてこの「公平性」を重視する政策は、空想上のものではない。実際に、多くの社会で、社会的弱者への救済策としてこのような優遇策が取られている。
女性枠については、政治家に女性が少ないことを考慮して、政治家の女性枠を採用する国も多くある。また、性別以外の属性についても、たとえばアメリカの大学入試では、黒人やヒスパニック・ラテン系などの少数人種に配慮する政策がとられていた*2。多くのDEI政策(多様性政策)の根幹にあるのもこの考え方であり、女性枠などの優遇策は、格差が大きい社会では必要な場合もあるということだろう。
*2)このアファーマティブ・アクション(積極的格差是正措置)は、2023年の米国連邦最高裁判決により現在は禁止されている。



