家康と秀長は天下人を支える“弟”格

これに対し、秀吉は徳川家の領国存立を保証したうえ、自身の妹である南明院殿を家康に嫁がせることで、義弟とすることによって、徳川家を羽柴家の親類大名とした。そのうえで、秀吉は10月に正親町天皇の譲位に合わせて、上洛を求める。

この秀吉の上洛要求に、家康は秀吉から母の天瑞寺殿が人質として差し出されたことを受けて、自身の身に危害が加えられないよう保証を得たうえで、上洛した。そして、家康は摂津大坂城の秀吉の面前で臣従を誓い、豊臣大名の一員に列したのである。なお、この時、家康は大坂の秀長屋敷を宿所とし、秀長の接待を受けている(『家忠日記』)。