3月11日のクライシスを経て
テレビで繰り返される津波の映像、日増しに増加し全貌すらつかめない被害の現状、そして今なお続く原発への不安。全ての日常が3月11日以降一変してしまった。その中でこの本を読み返すと、変わってしまった日常と同様、この本が発するメッセージの受け止め方も最初に一読した時とは随分変わった。
この本の第1章はデトロイトについて描いている。もともと長期的な低落に苦しんでいたこの自動車の街を金融不況は容赦なく直撃し、多くの人が職を失い、廃墟のようなビルが増え、治安も悪化し……というまさに「斜陽のアメリカ」の象徴のような姿となった。そういったいわゆるお約束の画を海外のテレビクルーが撮って帰ろうとしているところから、この章ははじまる。
しかし、この第1章の原書でのタイトルは「The New American Frontier=アメリカの新たなるフロンティア」である。著者のガーズマ達は、この惨憺たる街にあえて移住し倉庫街でこじんまりしたカフェを開いたフランス系シェフの話しを紹介している。シカゴや海岸沿いの大都市より生活コストが安いことに目を付けただけでなく、彼らはいかに地域に根付けるかということを考えこの地を選んだのである。彼らは、「地元で稼いだお金を地元で使い、皆で再生の日を見たいと」願っている。グローバリゼーションではなく、いかに「地元民に奉仕するビジネスを創造して近隣に賑わいを取り戻したい」と願っている人々なのである。そういった彼らに元々地元でレストランを開いていた人達も、協力を惜しまなかった。唯一競合しそうなクレープ屋はむしろレシピの見直しまで手伝ってくれたのである。
カフェの店主の「ここでは希望の光が渇望されている。だからみんな互いの成功を望んでいる」という、このセリフには、まさに古き良きアメリカの互助精神すら見ることができる。この章はそういった人々の姿であふれている。「デトロイトでは(自動車会社、州政府、労働組合など)大がかりな仕組みはうまく機能しなくなりました……」「しかし発想を転換して物事を構想しなおす機会があるのだから」「デトロイトはこれまでと違った理由で偉大な都市になれる」と信じている人の姿である。彼らは、デトロイトが一大産業都市として栄光を取り戻すなどとは思っていないのだが、着想をイノベーションへと昇華させる実り多い土地、温もり、思いやり、つながりに支えられたコミュニティになれると信じている、とガーズマは語っている。そして、この街にはすでに、再生のために走り出した人々が溢れているのである。とこの章を結んでいる。
どうだろう。経済危機と自然災害による危機という大きな違いこそあれ、再生に踏み出すには、何より「フロンティア」に立つ一人一人の気迫がいかに大切か、そしてそれをお互いに支えあうコミュニティの存在が何よりも重要であることが、この本からは伝わってきた。これこそが、「あの日」以降に読んでみて、胸に迫ってきたものである。