失明、大叔母の破産、退学…“アウトサイダー”として育つ

しかし不幸が立て続けに襲った。1865年、回転ブランコで遊んでいた八雲はロープが左目に当たって失明。翌年には父が西インド諸島からの帰国途上で病死。1867年には庇護者の大叔母が破産し、学費が尽きた八雲は退学を余儀なくされた。

行き場を失った八雲をフランスのカトリック学校に送り出したが、言葉も通じず視力にも難があり、宗教学校特有の規則に縛られた生活は耐え難く、すぐに退学。後年、子供をカトリック系学校に入れてはどうかと勧められた時、八雲は「それよりは殺すほうがよいと思います」と真顔で答えたという。

八雲は、どこにも居場所のない「アウトサイダー」として育った。ギリシャ人の母、アイルランド系の父、失明、貧困、そして押しつけられた宗教教育への嫌悪。体制に受け入れられなかった八雲が憧れたのは、見知らぬ土地への放浪だった。