交際相手に借金100万円を押し付けられる
不倫疑惑もあった妻の身勝手な行動で離婚を余儀なくされた結果、月5万円の養育費支払いの義務を負うだけでなく、うつや「自閉スペクトラム症」と診断され、竹林知武さん(仮名・30代後半)の人生の苦難は続いていた。
コロナ禍で日雇いの仕事が激減してしまったため別の働き先を探し、32歳の時にスーパーの精肉店でパートとして働き始める。店長が発達障害に理解のある人だったため、「ここでなら人生をやり直せる」とかすかな希望を持っていた。
当時竹林さんには、キャバクラのボーイ時代に知り合い、交際に発展した2歳年下の彼女がいた。
うつや障害と向き合い、「無理なく働こう」と努めていた竹林さんだったが、彼女に求められるままにお金を貸したり、クレジットカードを預けたりしていると、わずか半年ほどで借金が100万円に膨れ上がっていた。
あまりの金遣いの荒さに愛想を尽かした竹林さんは、借金を返済するよう告げて、彼女とは別れた。
ところがそれからすぐに、彼女と連絡が取れなくなる。半ば諦めかけていた竹林さんだったが、街で偶然彼女と出くわしたため、連絡がつかなくなったことや借金のことを問いただすと、彼女は「自己破産して、生活保護を申請した」という。
「つまり、『もう借金を返済できない』と告げられたも同然です。私は『まぁ、返済できない額ではない』と思い直して働きました」
元妻に対してもそうだったが、竹林さんは、親しくなった女性に自分のお金を使われることを、疑問に感じていないようだった。不思議に思った筆者は、生まれ育った家庭について訊ねた。
竹林さんの両親は、父親が20代前半、母親が18歳の頃に結婚。19歳で上の兄を出産し、20代前半で下の兄と姉を産んだ後、母親が33の時に竹林さんが生まれている。兄や姉たちとひとまわりも歳の差があったため、4人きょうだいでありながら、まるで一人っ子のように育ったという。
「年の離れたヤンチャな兄たちはいわゆるヤンキーで、姉は特攻服を持っていました。幼い頃、兄たちと話をした記憶も、遊んでもらった記憶もありません。父は寡黙で大酒飲み。家にはほとんどいませんでした。母は昭和を生きた強い人。父の両親の介護も母がしていました」
竹林さんが小学生の頃には兄たちは全員家を出ており、母親も働いていたため、ほとんどの時間を1人で過ごしたようだ。
推測するに、竹林さんは、幼少期から発達障害の傾向もあり、最初の社会である“家族”とのコミュニケーションがほとんどない幼少期を過ごしたために、親しくなった相手との関係性をうまく構築するスキルを身に付けられなかった可能性がある。
求められるままにお金や物品を渡すことを、その人物を“大切にしている”ことと勘違いしてしまっていた。その間違った“人の好さ”が、結果的に相手を好き放題に付け上がらせてしまう。
幼少時からの口下手さもあって、相手に嬉しい気持ちや喜びの感情のみならず、悲しい・悔しい・怒りなどの気持ちを伝えることが苦手だったために、恋愛だけでなく、仕事でもうまくいかなかったのかもしれない。
離婚した元妻にも彼女にも、そして、かつて自分だけを低給にした障害者福祉施設の施設長にも、不安や不満があればその都度きちんと伝えるべきだったが、タイミングや必要性がわからない竹林さんにはできなかった。だから、雑に扱われ続けてきたのだろう。

