公明党が離脱し、新たに日本維新の会が与党入りした高市政権が発足した。ジャーナリストの尾中香尚里さんは「かつて自民党と組むことを選んだ政党は多くが党消滅の憂き目に遭っている。それを承知の上で与党入りした政党はいままで見たことがない」という――。
署名した連立政権合意書を報道陣に示す自民党の高市早苗総裁(右)と日本維新の会の吉村洋文代表=2025年10月20日、国会
写真=共同通信社
署名した連立政権合意書を報道陣に示す自民党の高市早苗総裁(右)と日本維新の会の吉村洋文代表=2025年10月20日、国会

「ゆ党」を捨てて「よ党」に入った維新

高市早苗内閣が21日、発足した。7月の参院選(7月20日)から3カ月以上という長い政治空白が、自民党というたかだか一政党の内部事情で引き起こされたことは、決して忘れてはならないと思う。

だが、今回述べたいのはそこではない。高市内閣の発足を野党側から見れば、それは即ち「日本維新の会の与党入り」であり、「第三極」「ゆ党」と呼ばれた政党の末路だ、ということだ。自民党総裁選から高市内閣発足にかけて、維新と国民民主党という二つの「ゆ党」が、ともに自民党にすり寄り「連立政権入り競争」を演じた。そして維新は「よ党」の一員となって「ゆ党」の立ち位置を捨て、取り残された国民民主は存在感を失った。

高市内閣発足の陰に隠れているが、ここで「ゆ党」たちの「連立入り競争」の顛末を振り返っておきたい。

「連立入りしやすいのは維新」を見抜いていた

参院選での自民党惨敗から高市内閣発足まで、政界の焦点は「自民党が連立の枠組みをどう拡大できるか」だった。自民党は総裁選の最中から、野党第2党の維新と、第3党の国民民主を事実上名指しして、連立への秋波を送り続けていた。

筆者は、総裁選が「小泉進次郎農相(当時)vs高市氏」の構図となりつつあった9月25日に公開した記事「国民民主か、維新か…誰が次の総裁でも関係ない、自民が『連立入り』のラブコールを送る『本命政党』」で、おおむね次のようなことを指摘した。

・維新と国民民主党は「与党入り競争」を展開しているが、維新は小泉氏と、その後見人的存在の菅義偉元首相に近く、国民民主は高市氏と、その背後にいる麻生太郎元首相に近い。両党が自民党内の「政局の道具」となっている

・客観的に見れば、小選挙区の候補者調整をしやすい維新の方が連立入りしやすい

実際に連立入りしたのは、やはり維新だった。ただ「小泉―菅ライン」が敗れて高市総裁になったにもかかわらず、自民党は国民民主ではなく、維新を連立相手に選んだ。

なぜそうなったのか。それは、公明党が10日、連立からの離脱を決めたからだ。