小泉八雲こと、ギリシャ生まれのラフカディオ・ハーンは日本に来る前、どんな人生を送っていたのか。八雲のひ孫である小泉凡さんは「ハーンはアメリカに移民として渡り、新聞社社員のポジションをつかむも、最初の結婚を理由に解雇されてしまう」という――。

※本稿は、小泉凡『セツと八雲』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

アメリカで新聞社の職を得て、最初の結婚

アメリカのシンシナティ・エンクワイアラー社に就職したハーンは、恋に落ちます。マティ・フォリーという、白人農園主と黒人奴隷の間に生まれた人です。時に物思いにしずんだ表情を浮かべていました。この人の語る身の上話に、幼い頃から孤独感にさいなまれてきた八雲は感銘を受けたことでしょう。

それに彼女が語る幽霊話が絶品でした。並外れた記憶力があり、描写力は詩人のようでした。話をする時の、低く静かな声の力に圧倒されました。妖精や幽霊といった、目に見えない存在を尊ぶ八雲です。

ついに気持ちが抑えられなくなり、結婚を申し込みました。

当時のオハイオ州の法律は白人と有色人種の結婚を禁じていました。そんな時代に黒人の血を引くマティと結ばれたら、違法行為で罰せられるかもしれません。どう考えても、そんな差別はおかしい。八雲の思いは揺るがず、マティと彼女の連れ子とともに黒人の牧師のもとで結婚式を挙げました。

黒人奴隷の娘との結婚が問題になり、解雇

しかし、この結婚を理由にシンシナティ・エンクワイアラー社を解雇されます。ライバルの新聞社で働けるようにはなりましたが、3年ほどで結婚生活は破綻してしまいます。

米国に渡って8年。粘り強く、機会を探り、つかみ、だんだんと順風を感じられた頃でした。それだけに、この離婚は痛かった。世間の目の厳しさが身に染みたことでしょう。この時、そもそも胸の内に秘めていた白人中心主義への反発が燃え上がることになるのです。

八雲は南部のニューオーリンズに移り住み、そこでも新聞記者として働きます。独りに戻り、心機一転を図りたかったのでしょう。行ってみると、肌に合いました。レモン色の陽光が輝く、野趣にあふれた自然に囲まれた、南欧風の土地柄です。

何より、ニューオーリンズにはフランスでもアフリカでも米国でもない、多彩な世界観を包み込むクレオール文化が息づいていました。人種差別の痛手をこうむった八雲にはそれが心地よかったのです。

この地はジャズ発祥の地です。黒人ミュージシャン、ルイ・アームストロングが1960年代後半、「この素晴らしき世界(What a Wonderful world)」を歌い、ベトナム反戦の世相と相まってヒットし、今も歌い継がれています。

ハーンが移住したニューオーリンズの町並み
写真=iStock.com/rmbarricarte
ハーンが移住したニューオーリンズの町並み(※写真はイメージです)