卑弥呼を女王とする邪馬台国がどこにあったのか、いまだに論争が続いている。駒澤大学名誉教授の瀧音能之さんは「北部九州連合と瀬戸内海東部・畿内連合の大連合によって誕生したのが卑弥呼政権であり、王都として未開拓の畿内が新たに選ばれたと考えられる」という――。

※本稿は、瀧音能之『発掘された日本神話 最新考古学が解き明かす古事記と日本書紀』(宝島社新書)の一部を再編集したものです。

箸墓古墳 全景
箸墓古墳 全景(画像=Saigen Jiro/CC-Zero/Wikimedia Commons

天岩戸神話は卑弥呼の死を意味する?

記紀における最も有名な神話が天岩戸神話だろう。スサノオの乱暴狼藉に恐れを抱いたアマテラスは天岩戸に隠れてしまうと、世界はことごとく暗くなり、あらゆる災いが起きた。この天岩戸神話について、卑弥呼の死の際に起きた皆既日食をあらわし、岩戸が開かれることは新たな女王・台与が立てられたことを意味する、という説がある。

卑弥呼の死は248年前後と考えられているが、247年と248年に日食が起きたことが判明し、脚光を浴びた。ところが、247年と248年はいずれも皆既日食ではなく、卑弥呼の王都として有力視されている纒向周辺では、247年は半分ほど、248年では8割ほどしか太陽が欠けていないことがわかっている。これより以前の候補とされる158年では、皆既日食となる。

『魏志』倭人伝では、台与が女王に立てられた年齢が13歳とあり、卑弥呼も10代で女王となったとすれば、生年は170年前後ということになる。そのため、158年の皆既日食に卑弥呼は関係しないことになる。

火山噴火をきっかけに、あらゆる災いが発生

日食が関係しないとすれば、天岩戸神話における昼夜が失われる天変地異とは何だったのか。実際にあったのが、181年にニュージーランド北島にあるタウポ火山の噴火による異常気象である。この噴火は、地球で過去5000年間に起きた火山噴火の中で2番目に大きな規模で、巻き上げられた火山灰や火山ガスは成層圏にまで達し、地球規模で拡散した。

異常気象は2年間続き、中国では184年に黄巾の乱が発生し、後漢の衰退を招き、『三国志』の時代へと入る。『後漢書』には、181年2月、太陽が黄色い大気に覆われた(「黄気抱日」)とある。

黄巾こうきんの乱を起こした太平道は、「蒼天すでに死す、黄天まさに立つ」をスローガンとしたが、コンピュータ解析による気候シミュレーションによって実際に中国上空が黄色く染まったことがわかっている。

中国の歴史書における「倭国大乱」の最もピンポイントな時期は、『梁書』倭伝の光和年間(178~184年)であり、このタウポ火山の噴火の時期と一致する。大阪湾から採取された物質の分析によって実際にこの時期に寒冷化が起きたことが確認されている。

タウポ火山の噴火によって、冷夏や旱魃、日照不足による不作、粉塵による健康被害、そして軍事危機が発生し、『古事記』における「あらゆる災いがことごとく発生した」という記述を彷彿とさせる。