日本中を敵に回した結果、最初の挫折

だが、世論は真っ二つに割れた。日本を代表する英文法学者でありながら、保守言論人として活躍していた渡部昇一氏らが「国家として当然」と主張する一方で、日弁連や本多勝一氏らは「知る権利を奪う」「戦前回帰」と批判した。

渡部氏は『週刊文春』を、本多氏は『朝日ジャーナル』を中心に論争を繰り広げていった。だが、主要メディアでスパイ防止法に賛成したのは文藝春秋の雑誌くらいで、産経新聞を含めた新聞各紙も否定的論調を展開し、結果として法案は審議未了・廃案となった。

中曽根政権の試みは、日本のスパイ防止法立法の最初の挑戦であり、最初の挫折だった。政権はまさに「日本中を敵に回す」という逆風の中での挑戦で、戦後平和主義が根強い日本でスパイ防止法を成立させることがいかに難事業であるかを示した出来事だった。