ただし、その際には、ほとんど獣しか利用しないような山間部の立派な道路や橋よりも、意味のあるものをつくることだ。学校でも、インフラ整備でも、下水道でもいい、電柱を地下に埋めるのでもいい。多くの人が利用し、豊かになれる事業を行えば、さらに将来にわたってプラス効果が得られる。税金を使う価値もあるということだ。

ところで、今回の深刻な不況について、ケインズの考え方は当てはまるのだろうか。2つの視点からケインズの考え方とは違っている。

彼は投資不足から不況に陥るというが、あまりに短期間に急激に需要が消滅している。例えば、自動車が売れなくなったために、メーカー各社は投資を抑えている。これは投資の縮小ではなく、明らかに消費が先に縮んでいる。だとすれば、ケインズの理論はすでに崩れている。

次に、すでにデフレが起こり始めていることだ。彼の理論にはデフレの分析がない。しかし、現実にはデフレが起きている。この点でもケインズの考え方とは異なっている。

決定的なのは、バブルがはじけたあとにこれらの動きが起こっていることだ。ケインズの時代もそうだったが、彼は1929年のニューヨーク株式市場暴落から始まった世界大恐慌を分析しながら、理論を組み立てた。にもかかわらず、バブルがはじけると、なぜ不況になるのかという疑問への彼の解答は歯切れが悪い。

もし、今の時代にケインズが生きていたならば、いったいどんなことをいうのだろう。それを考えると、非常に興味深い。

多くの経済学者は、今度の金融危機は大恐慌まで発展しないというが、原因が明らかになっていないのに、大恐慌にはならないとなぜいえるのだろうか。サブプライム問題は金融危機の原因ではなく、単なる“引き金”にすぎなかった。需要の縮小が起きるメカニズムを解明しなければ、29年の轍を踏む可能性だってある。日本の平成不況やITバブル崩壊でも、これほどひどくはなかった。今後どう推移するかわからない。

おそらくケインズは「ほら、まただ」というだろう。そして、自分をさんざんけなしてきた経済学者たちに向かって、「ざまあみろ」とつぶやくかもしれない。ケインズを毛嫌いしていた多くが、いつの間にか、ケインジアンになってしまったからだ。

そのうえでケインズは、やはり今回も当時と同じように財政政策を訴え、金融緩和を主張するのだろうか。それとも、今回は違う様相なので新たな処方箋を持つべきだというのか。

しかし、もっと大切なことは、ケインズが憑依した新しい理論家が、現代に生まれてこなければならないということだ。大恐慌を目の当たりにしたケインズは、やはりショックだった。今までの経済学ではだめなのだと感じた。伝統的な経済学の方法では、うまくいかないことを直感した。そして、まったく新しい経済理論をつくり上げようとした。その試みは、不完全ではあったが画期的なものだった。今必要なのは、深みにはまりかけている世界経済を救う新しい理論家の登場である。

(構成=山下 諭)