Friedrich A.von Hayek
-フリードリッヒ・A・ハイエク(1899~1992)

オーストリアの経済学者。1927年オーストリア景気研究所所長に就任。29年の『貨幣理論と景気循環』で注目される。その後、ロンドン大学、シカゴ大学などの教授を歴任。ロンドン大学時代には、ケインズとの論争を展開する。43年『隷従への道』を出版し、市場経済のなかに社会主義的な精神を持ち込むことが全体主義へつながると主張。74年にノーベル経済学賞を受賞した。


 

小泉改革の精神的な支柱となってきた著名な経済学者が「市場万能主義、新自由主義の行き過ぎは誤りだった」として“懺悔の書”を出版して話題になった。それを見て私は、日本の経済学者の多くが経済学と思想の関わりについて無頓着に過ぎることに由来する、当然の結果だと考える。

新古典派、ケインズ派などが主張する内容の相違点は「思想」の差異に還元されるのだ。簡単に要約すれば、社会を「豊か」にするためには、前者は「市場の力にすべてを委ねるのが望ましく、所得格差は市場の効率化の必要条件である」と主張する。後者は「現実の市場が不完全であることに由来する不均衡と不安定を解消するには政府の市場介入は不可欠だ」とする。

水に浮かんだ氷に例えれば、水面上に浮かぶ「理論」を水面下で支える「思想」を含めて、新古典派かケインズ派かを選択するべきなのだ。日本の経済学者は、水面上の「理論」だけを学び、「思想」の是非を吟味することを怠り、政策を提言してきた。世界同時不況のような大事が起きると、昨日までの市場万能論者が、金融緩和と政府の財政出動を求めるようになる。

欧米の経済学者は、水面下の思想をも含めて学派の選択を行っているため、何が起きても、自己の属する学派の学説を主張し続ける。その代表が「ケインズ主義的財政金融政策が無効であり、市場の力に委ねるのが最善の策である」と主張し続けたフリードリッヒ・ハイエクだ。

1970年代末まで、主流派経済学はケインズ派であった。

「ケインジアンにあらずんば、経済学者にあらず」といった風潮が支配的だった。しかし、この間もハイエクは自説を曲げることはなかった。まさしくハイエクは孤高の経済学者だった。

ハイエクは『隷従への道』(43年)で社会主義計画経済と、その亜流ともいうべきケインズ経済学を痛烈に非難。両者とも、人間理性の限界ゆえに絵に描いた餅に終わるどころか、全体主義を招くと主張した。