急浮上して直ちに消えた「年内解散」のうわさ

台風19号の日本列島直撃、ラグビー・ワールドカップでの日本の大健闘、そして天皇陛下の即位礼……。大きなニュースが続いたことにより、国内政局について、ほとんど報道されない日が続く。

しかし実は、今月に入ってから、衆院解散を巡って永田町は大きく動いた。参院選の余韻がまださめない状態なのに、衆院解散・総選挙説が高まっていたのだ。結局、台風被害の影響で解散説は沈静化しているが、国民不在の党利党略で浮上した年内解散説の舞台裏を紹介しよう。

写真=時事通信フォト
「即位礼正殿の儀」で、天皇陛下の前で万歳三唱する安倍晋三首相(左端)=2019年10月22日午後、皇居・宮殿「松の間」

いかにもありそうな「11月20日解散、12月15日投票」説

衆院解散説は、10月上旬、にわかに高まった。臨時国会が4日に召集され与野党の論戦が始まった。今国会での最大の焦点は安倍晋三首相が執念を燃やす憲法改正に向けての環境整備。自民党側は「開かずの間」となっている衆参両院の憲法審査会を開催して議論を一歩でも進めようとしているが、野党側はテコでも動かない。膠着こうちゃく状態が続く。

そういう状況下で解散説が駆け巡り始めた。改憲の是非の前に改憲の議論をすることさえも応じようとしない野党を問題視し、国民に直接信を問う、というのが自民党側の理屈。野党を、議論すら応じない抵抗勢力と決めつけた「改憲解散」だ。

この情報は野党側にも流れ、緊張が走った。具体的に「11月20日解散、12月15日投票」という日程までささやかれた。中には、この日程が記された極秘文書が首相官邸の廊下に落ちていた、といううわさまで流れた。それほど重要なメモが、やすやすと落ちているとは思えないが「11月20日解散、12月15日投票」という日程は「いかにも、ありそう」な日程であるのも事実だ。