アジア人には土俵すらないとも言われる世界最先端のアートシーンで奮闘する日本人がいる。それが松山智一氏だ。ストリートカルチャーから着想を得た技法と独特の世界観の構築で、国際市場での評価を確立。ビル・ゲイツ氏やドバイの王室も作品をコレクションしている。日本でのビッグプロジェクトを控えた松山氏に、アーティストとしての立身とアートの意義について聞いた——。

問題解決よりも問題提起を選んだ

美術家の松山智一氏(撮影=宇佐美 雅浩)

どうやって現代美術作家になったのかとよく聞かれるんですが、僕はもともと美大に行ったわけでもなく、大学は経営学科で、学生をやりながらプロのスノーボーダーとして活動していました。そのスノーボードで足首に全治10カ月の大怪我をして「この職業を続けていくのは無理だな」と思ったんですね。それでどうしようとなったときに、雪上で自分を「表現」するのがスノーボードなら、別の世界で「表現」を生業にして生きたいと思ったんです。以前、スノーボードのデザインを手掛けたこともあって、本格的に商業デザインを学ぼうと、ニューヨークのプラット・インスティテュートという建築・デザイン系の大学に進みました。

でもそこで学ぶうちに、デザインというものに魅力を感じなくなっていったんです。僕はデザインは自分を表現する手段ととらえていましたが、デザイナーはクライアントの問題解決をする人であると教えられました。つまり、自分の個性を前面に出してはいけないということです。そこに葛藤が生まれました。

卒論は「個性を出し切ったデザイナーは生き残れるのか」をテーマにしたくらいです。ひたすら過去の事例を調べていった結果、グラフィックデザイナーが個性を出すと、ほとんどの場合食えなくなるという結論に至りました。食っていけるのはコーポレートアイデンティティという問題解決のプロだけなんです。だったら問題をただ解決するのではなくて問題そのものを提起するところまで作品を作り込んでやろうと思ったんです。それはデザイナーではなくアーティストの仕事だったんですね。それで25歳にしてアーティストを目指すことになりました。