プロジェクトの立ち上げも早かった。
最初の6本の募集を開始したのは、震災から1カ月半しか経っていない11年4月25日。東京の音楽業界からスタートしたカタカナ名前の会社が、東北の地場産業に受け入れられるには本来なら相当の時間が必要だ。
「こいつら何者だ?」と警戒されながらも、いち早く現地企業の理解を得られたのは「ツイッターで知り合った宮城県職員の方が熱心に仲介してくれた」(神谷氏)からだ。
しかし、震災直後から被災地を訪れ、復興の仕組みを説いた同社スタッフの使命感がなければ、このタイミングでのスタートはありえなかった。志が市場を切り開いたのだ。
被災で灯がともった「シャッター商店街」:被災したからチャンスがある
福島県いわき市の「シャッター商店街」に灯がともった。空き店舗ばかりで活気をなくしていた飲食店街を、地元出身の起業家らが改装のうえ「夜明け市場」と命名、震災で店をなくした人たちの再出発の場にしたのである。震災から8カ月後にオープンし、現在は居酒屋など8店舗が営業。災禍を糧に、街ににぎわいをもたらしたのだ。
同様の例は東北の沿岸各地にぽつりぽつりと現れている。たとえば、悪魔のような大津波に市街地の大半を破壊されてしまった岩手県陸前高田市。高台の市役所仮庁舎近くに、野菜直売所や飲食店が集まる一角がある。中小企業基盤整備機構が整備し、事業者に貸し出している仮設店舗の商店街だ。
外装に仮設らしからぬ煤材を使い、ひときわ目立つのが居酒屋「車屋酒場」。12年2月、この町で被災後初めて店先に提灯をともした店である。店主の熊谷栄規は、念入りに内装をこらした昭和レトロ調の店内で「どうせやるなら『仮設』くささをなくそうと思ってね。非日常、異空間を提供するのが酒場ですから」と持論を述べる。
生まれ育った市内高田町で同じ屋号の居酒屋をやっていた。津波のせいで店も家もクルマも流されてしまったが、親子4人の命は助かった。消防団員でもある熊谷は、そのあと、遺体の捜索に加わり、たくさんの顔見知りを泥の中から引き揚げた。高田はひどい状態だった。だから、「しばらくは自分の商売なんか考えられなかった」という。