自分の感情を殺す「鬼」に育ってしまう

内なる声、つまり心身の感受性を鈍麻させた先に待ち受けるのは人間性を失った「鬼」であると、思想家の内田樹氏は指摘している。

理不尽な状況に耐え忍ぶことができるという点で、「鬼」はタフである。だが、この「鬼」は冷静に思考することができない。納得できなさをのみ込むため意図的に頭に血を上らせ、兎にも角にも現状を肯定しようと試みる。善悪や正邪の判断を、第三者の価値観に委ねるこの態度は、人生をたくましく生きてゆくために必要なタフさとはいえない。

5年前の2019年、夏の甲子園大会(2017年)で全国制覇をした花咲徳栄高校元主将の男が、強盗致傷と住居侵入、窃盗の容疑で逮捕、起訴され、懲役5年の実刑判決が下った。栄光を手にしたわずか2年後に「強盗犯」になったわけである。

記事内でスポーツジャーナリストの谷口源太郎氏は、次のように正鵠を射たコメントを残している。「名門校のキャプテンというのは、勝つことにこだわることがすべてで、世間のリーダー像とは別物。人間的な成熟とは関係ないんです。彼(記事内では実名)は自分の立場や影響力を自覚していなかったのでしょう(……)」。

「世間のリーダー像とは別物」で「人間的な成熟とは関係」がなく、自らの「立場や影響力」に無自覚であったという指摘は、まさに彼が「鬼」だったことを物語っている。

写真=iStock.com/Marco_Piunti
※写真はイメージです

スポーツ指導が抱える「構造的な問題」

数年前になるが、おもに青少年の非行を扱う弁護士から、窃盗や薬物に手を染めるなどの犯罪行為に走る子供にはスポーツ推薦で進学した者が多いと聞いた。レギュラーになれないなどのつまずきがきっかけで部活動を辞め、学校も休みがちになって、やがて非行に走るケースが後を絶たないという。この凋落ぶりがどうしても解せないのだと、まなじりを決して話されていた。

先の元主将も、非行に走る青少年も、ともに自分を騙すことで抱え込んだ矛盾が心を荒ませ、それが暴発して他者に向けられたといえる。これは、心身の成長を遂げつつある時期に、冷静に思考することを許されず第三者に判断を委ねて現状を肯定し続けてきたプロセスの帰結である。彼、彼女たち自身にまったく問題がなかったとはいえないにしても、「鬼」を生み出すスポーツ指導のあり方にこそ原因がある。つまり、構造的な問題である。

人として身に付けるべき本来のタフさとは、この「鬼」とは似て非なるものである。