スポーツ現場でいまなお続く「指導」という名の暴力

ご存じの方もいるだろうが、日本体育協会(現・日本スポーツ協会)などの5団体が、2013年に「スポーツ界における暴力行為根絶宣言」をした。以降、暴力行為防止への啓発がさかんに行われている。にもかかわらず、今年の7月には思わず目を覆いたくなるほどの凄惨な事件が起きた。

滋賀県近江八幡市を拠点に活動する野球チームの40代の指導者が、12歳の中学生の顔を何度も殴り、顔や胸を足で踏みつけた。別の中学生にも包丁を突きつけて「お前ほんまに刺すぞ」と脅迫したなどとして、逮捕・起訴されたのである。殴られた中学生の顔は変形するほどに腫れ上がり、頬にはミミズ腫れができていたという(NHK大津放送局 滋賀WEBノート「野球指導者が子供に暴行 スポーツでの暴力なぜなくならない?」 2024年9月5日)。

こぶしを振り降ろしてくる若い男性
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なぜスポーツの世界で暴力は許容されるのか

大人が中学生に暴力を振るい、包丁を突きつけて脅す。これがスポーツ現場でなければ、周りにいる人たちは直ちに止めに入るだろうし、すぐに警察へ通報するはずである。なのにそうしない。なぜそれをしない、否、できないのか。

それは、止めに入る、あるいは通報するのを躊躇させる特殊な空気が、スポーツ現場には流れているからだ。スポーツにおける上達には「それなりの厳しさ」が必要であるという暗黙的な共通理解が、二の足を踏ませるのである。

事実、この事件では暴力行為を見ていた周りの大人は誰も助けなかった。社会常識に照らせば断じて許されない暴力行為が、スポーツ現場ではスルーされる。これほど壮絶な暴力ですらそうなのだから、暴言となれば相当数の事例が見過ごされているに違いない。根性論的な指導もまたそうだろう。

暴力行為根絶宣言から10年以上が経ったいまでも、ここまで凄惨な暴力事件が起きる。これは、「スポーツには厳しさが必要である」という信憑がしつこくまとわりついている証左である。

厳しさを乗り越えてこそうまくなるのだから、褒められるよりも叱られる指導のほうがいい。厳しくさえあれば論理的でなくともかまわない。むしろ論理的でないほうが、理不尽という厳しさが醸成されるから好ましい。そもそも社会は理不尽さで溢れ返っているのだから、その予行演習ができてよい――。おそらくほとんどのスポーツ経験者は、無自覚にそう信じている。

だが、スポーツ経験が豊富でない親はそうではない。理不尽を伴うほどの厳しささえも礼賛するスポーツ界に特有なこの空気に困惑している。耳や目を疑う暴言、暴力に遭遇しても、そもそもスポーツとはそういうものなのかもしれないとつい遠慮してしまう。参照する過去がないだけに、思わず戸惑うのは必然である。

今回は、こうした悩みを抱える親に向けて書いてみたい。スポーツ経験者は自らの経験を再解釈するために、未経験者にはスポーツ指導の本質を理解するために参考にしていただければと思う。