「テレビ局が決めるのではないッ」

選挙で落選していた旧〈千葉3区〉のハマコーこと元代議士の浜田幸一を「叱咤・激励する会」が開かれたのは、昭和56年7月7日であった。

場所はホテル・ニューオータニの「鶴の間」、時の世話人代表はかつての「青嵐会」時代の親分・中川一郎科学技術庁長官で、田中角栄は発起人の一人に名を連ねていた。当日、某テレビ局美人レポーターが会場で“待伏せ”、出席者たちに「ハマコーさんの政界復帰という空気をどう思うか」とマイクを突きつけていた。

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しかし、マイクが田中に突きつけられたとき、田中は凄みのある声で一言、「浜田クンが政治家として必要か否かは国民が決める。テレビ局が決めるのではないッ」。この勇敢な美人レポーターはさすがに圧倒されたか、哀れ、顔をこわばらせていたものだった。

その後、セカセカと壇上に上がった田中は、しかしご機嫌にこう言ったものであった。

「ここに入る前に、テレビ局から日本の政治家として浜田幸一クンが必要かと聞かれましたが、私は言ってやった。『それはキミたちが決めることではなく、国民がちゃんと決めてくれることだ』と。まァ、しかしなんやかやいえば、すぐ自分と浜田クンをワル者にしたがるのは、これは間違っておるッ。

中川(一郎)クンや渡辺(美智雄)クンが同じようなことをやっても、ちっともワル者にされない(と、列席の両大臣に視線を送ってニヤリ)。浜田クンは青年時代、少々グレとったが、アレは昔のことだ。何の道へ出ても、浜田クンは必ず一旗上げる男でありますッ。些細な問題で引退したのはこれはいかにも残念、国家のためにもカムバックをさせんといかん。議席を獲得しなければならんのであります、皆さんッ!」

会場は国会議員のほか、なんと選挙区からを中心に5000名と大盛況であった。結果、ハマコーは次の総選挙で復帰を果たしたのだった

自分の邪魔をした相手でも誠意を尽くす

旧〈熊本2区〉出身の園田直代議士といえば、外務、厚生などの大臣を歴任したヤリ手だったが、夫人の松谷天光光女史との“白亜の恋”でも艶名をはせたことでも有名だった。

もっともこの園田、それまで田中の足を引っ張ることもたびたびあって、自らが国対委員長時代には福田赳夫に付き、田中が推進しようとしていた大学法案に二の足を踏んだこともあったのだった。のちに、政治部記者が言っていた。

「結局、大学法案は通ったわけだが、その直後に“園田直を励ます会”があった。田中は大学法案で足を引っ張られたにもかかわらずこの会に出席、園田と天光光の恋愛をホメたたえるなど、しきりに園田を持ち上げていた。

さすがに園田はフクザツな顔をして聞き入っていたが、その後、天光光の父親が死去したとき、田中は神奈川までクルマを飛ばして弔問に向かったのだが、道路が混んで結局は引き返さざるを得なかったことがあった。この話をあとで耳にした園田は、『ホトホト感動したなァ』と言っていたが、これ以後あまり田中の足を引っ張らなくなっている」