テレ東はなぜ変わってしまったのか

では、テレ東の企業ガバナンスの機能不全はどこから来ているのか。「諸悪の根源」と言うべき原因は2つある。

まずひとつめは、一部の勘違いした役員の存在である。テレ東は常に「最小最弱」と言われてきた。視聴率やすべての面で「振り返ればテレビ東京」とも揶揄されてきた。そんなテレ東が株式上場し、いつのまにか「一流企業」の仲間入りをした。

このことによって、何が起こったか。「社員意識の変化」である。“ビリっけつ”のテレビ局で偉くなっても何も誇れるものがなかったが、「一流企業になった」ことで出世欲が出てきたのである。

そして、一部の人間のなかには、上に行けば行くほど自分が現場にいたときの苦労を忘れ、役員になったとたんに「自分は現場上がりだから現場のことをよくわかっている」という勘違いのもと、現場への締めつけや無理難題といったパワハラもどきのことを始める者が出てきた。それは年を追うごとに酷くなっているとテレ東内部から報告を受けている。

テレビ東京が入る高層ビル(写真=江戸村のとくぞう/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

もうひとつの「諸悪の根源」は、「日経(日本経済新聞)支配」とそのことで生じる「二重構造」である。テレ東がほかの在京民放キー局と決定的に違うのはこの点だ。日本テレビは読売新聞、テレビ朝日は朝日新聞、TBSは毎日新聞、フジテレビは産経新聞、テレ東は日本経済新聞(以降、「日経」と省略)と提携関係にある。

自由闊達な雰囲気で上下関係はフラットだった

しかし、ほかのテレビ局が新聞社から派生する形で誕生したのに対して、テレ東(当時は「(株)東京十二チャンネルプロダクション」)には、日経が経営難を救うかたちで資本参加したという事情がある。また、新聞社側のほうが売上高が大きいのは「テレ東―日経」のみで、創立以来、歴代の社長は日経からの天下りである。このような場合に、どういったことが起こるか。日経の発言力が極めて強くなる。

そしてさらなる「歪み」は、文化の違いである。「活字」と「映像」という違いはほかのテレビ局も同じだが、日経は軍隊的な組織で上下関係が厳しく、上の命令は絶対。それに反して、テレ東は自由闊達な雰囲気で上下の関係もフラットだ。この差は大きい。これら両者間の歪みが、コンプライアンスやレピュテーションリスクという外圧もあって近年、ひどくなっているのだ。

「日経支配」の代償

私も「日経支配」という泥をかぶらされた経験がある。いまも続いている経済ドキュメンタリー「ガイアの夜明け」が始まる2002年、私は会社から命じられ、俳優の役所広司氏になんとかお願いして「番組の顔」になってもらい、そのMC部分の撮影を担当していた。

口説いた手前、役所氏の演出には責任を持たなければならないと思ったからだ。だが、放送が始まってほどなく、日経本体から物言いが入った。

「経済番組に俳優を連れてきて、変な芝居をさせているのは誰だ。やめさせろ」