イノベーションは往々にして規制に先行する

第三に、無消費をターゲットとした企業戦略は、地域の規制や制度の枠組みを、その地の実情に沿った、適切なものに変えていった。

ジェフリー・アレクサンダーが著書“Japan’s Motorcycle Wars”(日本のオートバイ戦争)のなかで述べている。

「日本の道路を走行する車両の数が増加するにつれ、交通法や車両登録、運転免許制度、走行路の取り締まり等、一貫した政策の必要性が急速に高まった」

つまり、車両というイノベーションが普及したことで、日本特有の状況に適した政策が促されたことになる。このように、イノベーションは往々にして規制に先行する。存在していないものをあらかじめ取り締まることはできないからだ。

第四に、とくに自動車産業の場合、無消費をターゲットとした戦略は日本経済に新たな産業を生み出した。車の販売やサービスに関連する仕事をはじめ、物流および輸送業界、安くなった交通費を背景に国内旅行業界も拡大した。学校や病院へのアクセスがよくなり、郊外の開発も進んだ。

アメリカ市場での評価

もし、トヨタが戦後、日本の無消費をターゲットにするのではなく、アメリカの三大自動車メーカー(フォード、GM、クライスラー)と競争する道を選んでいたらどうなっていただろう。それでもトヨタは成功し、日本は繁栄していただろうか?

じつはトヨタはそのころ、ほんの短期間ではあったがアメリカ市場に打って出た時期がある。1958年、トヨタは日本国内で成功したあとに、主力車であるトヨペット・クラウンを携えてアメリカ市場に乗り込んだ。

初代トヨペット・クラウン RS20型(後期型)(写真=Mytho88/CC-BY-SA-3.0,2.5,2.0,1.0/Wikimedia Commons

クラウンは日本で非常によく売れた車種であったため、幹部陣はアメリカでも売れると考えていた。しかし結果は大失敗だった。ある観測筋はこうコメントしている。

「クラウンは日本の荒れた道路に適合するよう設計された車であり、アメリカのなめらかで流れの速い道路には合わなかった。時速が60マイル(約96キロ)に達すると激しく振動し、ドライバーはバックミラーを見ることができないほどだった」