一橋大学と大阪市立大学では「商学部」と名付けられた

私学初の経営学部は明治大学経営学部であり、1953年と神戸大学のほうが4年早くなっています。国立は研究、私立大学は実践というイメージがありますが、学生の人気学部でビジネスに繋がりそうな経営学では逆になっているところが面白く思えます。

一般的に当時は、経営系の学部には商学部と名付けられていました。実際、神戸とともに三商大と呼ばれた一橋大学と大阪市立大学(現在は大阪府立大学と統合して大阪公立大学へ)では商学部の名称がつけられました。

神戸大学では、商学系の教員がいたにもかかわらず、戦前から経営学に取り組んできたこともあって、ある意味現代的な「経営学部」という名前でいくことになったようです。

関西のもう一つの三商大である大阪市立大学についても説明したいと思います。

まず、三商大というのは、戦前、商業実務家育成機関として各地に高等商業学校が作られ、その中で歴史が古く研究実績の大きい東京・神戸・大阪が三商高、もしくは三商大といわれました。なお、戦前の高等商業学校は戦後大学に昇格しており、現在の商業高校とは異なります。

理論と実践のバランスの良さが企業経営の基盤に

さて、大阪ですが、1880年に大阪商業講習所が、近代大阪経済の父ともいわれる五代友厚ごだいともあつをはじめ、当時の大阪財界有力者16名によって創設されました。

五代は「欧米先進国と対等に渡り合うには、商人にも学問が必要」と説き、東京に次ぐ我が国二番目の商法学校「大阪商業講習所」が誕生しました。

石川智久『大阪 人づくりの逆襲』(青春出版社)

その後は、「市立大阪商業学校」へと発展し、日清戦争終了後の不況のさなかにもかかわらず、「市民自身の手で高等商校を」という大阪市民・同窓生の熱意により、1901年(明治34年)、市立大阪商業学校は、「市立大阪高等商業学校」への昇格が実現しました。

そして、1928年には単科大学ながら学部・予科・高商部の三位一体構成を特色とする市立「大阪商科大学」となりました。

関西では、京大や阪大が学問を追求する一方で、神戸大学や大阪公立大学の前身組織が実学を推し進めてきました。

こうした理論と実践のバランスの良さが、関西の企業経営の基盤となっているのです。

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