でも一方で、透明な募金箱の中に1万円札が入っているのを見ることがあります。まわりはほとんどが小銭ですから、高額紙幣はやけに目立つんです。ここに10円玉や1円玉を入れるのは単なる気休めというか、ささやかな自己満足にすぎないでしょう。しかし1万円という少なくない額を、黙って無記名のまま募金箱の中へ放り込む。そんなことは本物の善意がなければできません。尊敬に値する行為だと思います。
ただ、僕自身はそこまでの善意を持つことができません。また、半端な釣り銭を寄付するくらいでは何の役にも立たないと決めつけているので、小銭だって出しません。それよりも、被災地のみなさんの気の毒なありさまを見聞きするにつけ、「明日はわが身」という思いを深くします。他人に施しをしている場合ではなく、少しはまとまった金を用意するとかして、自分の身は自分で守らなくちゃいけないなと感じています。
その意味で、ボランティアにも軽い反発を覚えます。北町貫多(芥川賞受賞作『苦役列車』の主人公)が東北へボランティアに行く図なんて想像できません。その代わり、日当いくらで仮設住宅をつくるという仕事があれば、被災地行きのバスに乗るでしょう。もっとも、ろくに稼がないうちに現地で被災者やボランティアといざこざを起こし、東京へ帰ってきてしまうだろうと思いますけれど(笑)。
そんな僕ですが、作家・藤澤清造の「歿後弟子」を自任し、個人全集の発刊を目指しています。清造研究では誰にも負けない第一人者でありたいと自負しています。ときには資料購入のため大金を投じます。
たとえば、古書市場に一品ものの清造の肉筆資料が出品されることがあります。入札なので、競合する誰かに高い値段をつけられたらおしまいです。だから、ほかの誰にも追いつけないくらい高い値段で応札します。そういうことはこれまでに幾度もありました。