もちろん、僕自身が「負け組」だったのは間違いありません。中学しか出ていませんし、日雇いで暮らしていたことも事実です。しかし、6年くらい前から文芸誌に小説を載せてもらえるようになりましたから、その意味でだけはすでに負け組を卒業しています。逆に東大を出ても一向に芽が出ない作家志望者はたくさんいますから、その人たちは一種負け組だといえるかもしれません。

では、その人が負け組であるのは誰のせいでしょうか。僕は本人のせいだと思います。得意分野に進み、それでもモノにならないというのは珍しいことではありません。それでもなお、やりたいならやればいいんです。ところがインテリの人は、途中で「社会が悪い」とかいい出します。負けを認めたくないから、そういう大きな話に救いを求めるのです。

いまは多くの人が学歴とか勝ち負けの価値観にがんじがらめにされています。それではサマにならないと思うのですが。

芥川賞作家 西村賢太
1967年7月、東京都江戸川区生まれ。中卒。2007年『暗渠の宿』で野間文芸新人賞、2011年『苦役列車』で芥川龍之介賞を受賞。刊行準備中の『藤澤清造全集』(全五巻別巻二)を個人編纂。著書に『小銭をかぞえる』『寒灯』等がある。
(構成=面澤淳市 撮影=市来朋久)
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