「倫理的孤立」を選ぶ私たち

戦後日本に輸入されてきたリベラリズムは「イエ」を批判しながら、妙齢の男女には自由で解放的な機運のもとで自由恋愛を推奨し、結果として自由恋愛ではパートナーをきっと見つけられないであろう人びとのための受け皿として機能していたお見合い婚を潰した。

お見合い結婚を潰して自由恋愛を推奨し、世のなかの妙齢男女を全員「恋愛結婚(≒恋愛関係を婚姻の前段階の手続きとした結婚)」の市場競争に参加させておきながら、今度はその自由恋愛さえも「異性(とくに女性)に対して加害的にふるまうことは許されない社会悪である」という倫理的ハードルを高めて潰してしまおうとしている。こんな愚かなことがあるだろうか。

私たちはいま、ただしくあろうとするがゆえにだれともつながりあえない、倫理的な無縁社会をつくろうとしている。

春の暖かさに誘われて街に繰りだしても、人びとは視線を合わさず、言葉も交わさない。何十、何百、何千、何万もの孤立した個がそこにいるだけだ。

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