カンニング対策はテロ対策並みの警戒レベル

カンニングへの情熱もすさまじく、米粒サイズのイヤホンや消しゴム型の液晶ディスプレイなど、さまざまなグッズの存在が明るみになりました。大学側もテロ対策並みの厳戒態勢を敷き、金属探知機や電波遮断装置などを多用しています。さらに、組織的な不正行為に対しては、刑法でかなり長期の懲役刑も定めています。

ところで、6世紀の隋の時代に始まり宋の時代に制度が整備され、清朝末期の1905年まで続いた科挙制度は、受験生に幼少時からの非人間的な詰め込み教育を強いて、実用的ではない儒教の知識で官僚としての能力をチェックするという、現代人の視点からは欠点も多い試験でした。しかし、カネやコネ、恩情といったさまざまな不公平が横行しがちな中国社会において、まだしも公平性が担保された制度だったという面もありました。

現代中国の高考も、やはり非人間的な受験勉強を強いる恐ろしい試験です。ただ、権力者や富豪の子弟でも貧しい農民の子弟でも点数のみでジャッジされることで、「中国で最も公平な競争」とも呼ばれています。不正の入り込む余地がゼロではないものの、就職や昇進などに比べれば、はるかに公平と言える。この点は、中国が過去に千年以上も科挙をやってきた社会であることと無縁ではないでしょう。

登場人物が多すぎる『水滸伝』

――歴史や古典は、現代中国の自己啓発や組織論にも影響があるようですね?

中国の古典小説というと、日本では『三国志演義(いわゆる『三国志』)』が圧倒的に人気で、続いて馴染み深いのは『西遊記』でしょう。『水滸伝』は名前は知っているがストーリーまでは知らない人が多いのではないでしょうか。

『水滸伝』はさまざまな事情で社会からはみ出した108人の豪傑たちが、天然の要塞・梁山泊に集結する群像劇。日本で人気コンテンツとして成立しにくい理由は、登場人物が多すぎることも一因でしょう。三国志における劉備や諸葛孔明(諸葛亮)のようなストーリーの核となる人物がおらず、すくなくとも設定上では同程度の重みを持つ主要人物が108人。これは現代人にはしんどい話です。

ただ、『水滸伝』のほうが『三国志演義』や『西遊記』と比べて、中国人の気質や社会の本質を理解する上では有用です。

浮世絵師の歌川国芳が描いた「水滸伝豪傑双六」(画像=国立国会図書館デジタルコレクション/PD-Art (PD-Japan)/Wikimedia Commons