戸籍抹消の朱線を自ら引く

遺品と一緒に両親宛ての手紙が入っていた。

楓はよく手紙をくれて、励ましてくれました。小生がいなくなると当分は淋しいと思うから、父母様でよく慰めてやって下さい。写真機と時計を楓に渡して下さい。

とあった。楓を思いやる少尉の心が溢れている。二人の確かな絆を感じずにはいられない。

昭和20年10月、戦死公報が届く。役場で戸籍係をしていた楓は、自分の手で「林義則」の文字の上に戸籍抹消の朱線を引いた。

亡き人の数に入れるか今日よりは
 戸籍の朱線胸に痛しも

「末期の水をとってあげる気持ちだった」

楓はその時の気持ちをこう振り返ったが、残酷なものだ。どんな思いで朱線を引いたのか。楓の悲しみを考えると、かける言葉がなかった。

気が付けば手紙を待っていた

遺骨が届いたのはさらに一年が経った昭和21年6月。遺骨というのは名ばかりで、白木の箱だけだ。それでも、楓にとっては昭和19年3月23日に見送ってから2年ぶりの再会だった。

宮本雅史『「特攻」の聲 隊員と遺族の八十年』(KADOKAWA)

葬儀は村葬で盛大に行われたが、入籍していなかったため、親族の席には座れず、一番後ろで読経を聞いた。

祭壇に3首を短冊に書いて供えた。

一年を経て還り給いし君の御魂
 全身をもて抱き参らす

待ち詫びし御魂還る日近ければ
 心粧いぬ悲しみに堪えて

我を遺きて遂にゆきしか我を遺きて
 武士道とふものはかくも悲しき

葬儀が終わった後も、「ふと、便りはどうしたのかしら」と思い、「あぁ、そうか」と気づく日が続いたという。

「手紙を待つ暮らしが習慣となり、気がつくと何十年も経っていました」

別れ際の楓の一言に、ただうなずく外なかった。

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