日本のゲーム会社からの助け

1995年には、最初のチップを日本のゲーム機メーカーのセガ向けに開発したが、オープンスタンダード仕様を使わずに独自仕様にしたため、うまくいかなかった。その結果、110人いた社員のうち70人をレイオフせざるを得なくなったのだという。

そこで諦めてしまう起業家が多いが、エヌビディアの創業者ジェンスン・フアン氏は諦めなかった。資金を提供したベンチャーキャピタル、サターヒル社のジム・ゲイザー氏も「最初からうまくいく企業などほとんどない。私はこの(エヌビディアの)エンジニアのチームに賭けている」と気にしていなかった。

フアン氏は、セガの副社長だった入交昭一郎氏に連絡し、エヌビディアの開発に間違いがあったことを詫びた。そして、正直に「エヌビディアは契約通りのゲーム機を完成することができない。セガは、直ちに他のパートナーを探してほしい」ということも伝えた。

同時に、「私たちは御社からの支払いがないと倒産してしまう」と苦境にあることも話し、恥を忍んで支払いをお願いすると、入交氏はこの要求を受け入れ、そのうえ6カ月の猶予期間も与えてくれたという。

「最高の技術で作れば結果はついてくる」は間違いだった

のちに、フアン氏は「最高の技術で作れば結果はついてくる、と最初は思っていた。しかし、間違っていた。市場や消費者の需要を読むことにもっと精通すべきであった」と述懐する。

エヌビディアの創業者ジェンスン・フアン氏(nvidia.corporation/CC-BY-SA-2.0/Wikimedia Commons

創業者の一人で、ハードウェアエンジニアリング担当VP(Vice President)のクリス・マラコウスキー氏は「私たちの企業風土からは厳しい戦略転換だった。独自技術にこだわり、差別化しようとする企業風土だからだ」と語っている。実際、「独自技術を捨て、二番手戦略に成り下がるのか」と悩みながら、去っていった社員もいたという。

フアン氏ら経営陣は、戦略転換の根拠について社員を説得し続けた。なかでもマラコウスキー氏は、ある時「私たちは特別な技術に賭けているのではなく、優秀な社員に賭けていることに気がついた」と言い、重要なそのことを社員に伝えたところ、主要な社員はとどまってくれた。それがまったく新しいグラフィックチップ「RIVA 128」の開発につながったのだという。

ところが、その「RIVA128」チップを実装している台湾企業の製品の不良率が30%にもなってしまったことがあった。通常は5%程度、すなわち良品率(歩留まり)は95%くらいであるから、不良率30%というのは異常に高い数値なのだ。

エンジニアたちは、設計上の欠陥だとは誰も思っていなかった。かといって、このまま顧客に渡すわけにもいかず、経営会議では誰もが頭を抱えた。