当初はゲーム用の半導体をつくっていた
2007年頃、東京赤坂にあるエヌビディアの日本法人で開催されたゲーム機用GPU(Graphics Processing Unit)の新製品発表に初めて出掛けた時、いつもの半導体企業の発表会とは様子が違って、筆者は「場違いなところにきてしまった」と思ったことを覚えている。
ゲーム機用のボードとパソコン用のディスプレイが展示されており、当時のいわゆる“パソコンオタク”のようなPC雑誌の記者がとても多い印象だった。それがエヌビディアとの最初の出合いで、当時エヌビディアはゲーム機の画像用のグラフィック半導体チップを作っていたのだった。
その後2011年に、筆者は自動車のダッシュボード向けの高集積SoC(システムオンチップ、System on a chip)「Tegra2」について取材するため、東京のエヌビディアを訪れた。
Tegra2は自動車のダッシュボードでカーナビを見せたり、スピードメーターを液晶画面上にグラフィックスで表示したりする、情報と娯楽を組み合わせたインフォテインメントの用途で開発されたものだった。時期尚早だったのか、自動車向けはうまくいかず、その後Tegra2の話は出なくなった。
それが2016年になると、エヌビディアはAI(人工知能)一色になっていた。
創業2年目に訪れた倒産危機
日本国内で開催されたGPU技術会議で、「パイトーチ(PyTorch)」や「テンソルフロー(TensorFlow)」など主要なAIフレームワークを試したり、日本の代表的なAI企業であるプリファードネットワークスとコラボしてみたりするなど、同社はAIに力を入れ始めていたことがわかった。以来、筆者は「エヌビディアはAIの会社」と見るようになっていった。
AI関連の起業家には、アルゴリズムを開発して、これまで見えなかった事実を見えるようにしようと考える人が多い。
しかし、そのアルゴリズムを実行するには、クラウドコンピュータやスーパーコンピュータのような高性能なコンピュータが強く求められる。そのコンピュータを動かす技術を辿っていくと半導体に行き着くことになる。そこにいるのがエヌビディアなのだ。
エヌビディアの物語はアメリカンドリームを実現させた成功物語のように見えるかもしれないが、実は大きな失敗もしていたことが知られている。エヌビディアの物語を掲載した米国最大のビジネス雑誌『FORTUNE』の記事(2001年9月)から少しピックアップしたい。
1993年にシリコンバレーで誕生したエヌビディアの原点は、ゲーム用のグラフィックス画像を描くためのコンピューティング技術であり、それを半導体チップで実現しようとしていた。