推しが犯罪者になっても愛は急に止められない

オッパが犯罪者になってしまったという事実を認められなかったり、認めるか否かにかかわらず愛情を捨てられなかったりするファンもいると知ったのも、その頃だった。推し活が強制終了となったファンの心情は説明しなくても察することができる。でも、こんな状況になってもファンでありつづける人たちの気持ちは、まったく理解できなかった。

「なぜ愛しつづけるの? もうやめて!」と言いたい衝動にかられた。とんでもないおせっかいだ。だけど皮肉なことに、少し後になって振り返ると自分にも同じような時期があったと気づいた。それ以来、「なぜ」という質問の矛先を他人ではなく自分に向けるようになった。わたしはなぜあの人を愛しつづけたのか。どうしてそんなに誰かを好きになることができたのだろう。あの人をただ信じていた時代の自分が、まるで他人のように感じられた。今や別人のようにも思える、あの人を慕っていた過去の自分と、今もファンでありつづける人たちへの好奇心が、だんだん大きく膨らんでいった。

映画にできるかどうかもわからず、どんな映画をつくりたいかさえはっきりしていなかったが、会って話を聞きたい人がたくさんいた。ファンたちの思いを伝えたいという決意ひとつを胸に、カメラを手にいろいろな場所を訪れた。カメラがなければ、尻ごみしてあきらめてしまいそうだった。フォーカスが合っているかなど、技術的なことはわからないけれど、とりあえず「Rec」ボタンを押して、目の前のすべてを撮ってみることにした。インタビューの作法もよくわからなかったが、ただ思い切り怒って楽しく罵り、声を出して笑いたいと思った。映画には使えないかもしれないけれど、日々フォルダーが増え、撮影データがたまっていくと、何かを成し遂げているという手ごたえを感じた。そうこうしているうちに、わたしは『成功したオタク』という映画をつくる人になっていた。

『成功したオタク日記』の著者、オ・セヨン氏

この経験を一番うまく伝えられるのは自分だ

映画製作の動機について、こんなに長々と説明することになるとは想定外だったが、正直に言えば、雷に打たれたように特別な何かがピカッとひらめいたわけではない。怒りが原動力となってカメラを手に取ったと語ったことも、好奇心に突き動かされたと答えたこともある。どれも真実だけど、結局のところ、わたしが伝えたい話だったというのが、もっとも重要なきっかけだった。わたしたちの、可笑しくも、悲しくて、怒りに満ちた経験を誰かに話したくてうずうずしていた。この話を一番面白く、うまく伝えられるのはわたしだという控えめな自信もあった。いろいろな理由を挙げる必要はなく、ただわたしが伝えたい話だったということ。それがおそらく、映画『成功したオタク』をつくったきっかけのすべてだろう。