ラインホーラーの夢
ラインホーラーは国内のほぼすべてのマグロ延縄船に装備された。輸出も好調だった。台湾、韓国をはじめ東アジア各国の延縄漁船に取り付けられ、マグロの水揚げに寄与した。
泉井鐵工所が創業して40年が経った1962(昭和37)年、ラインホーラーの製造販売台数が1万台を超えた。
当時、世界中で操業していたマグロ延縄船の9割以上にはイズイマークのラインホーラーがあった。
そして、時代は流れ、昭和から平成、令和となった。この間、アメリカ、ロシアをはじめ世界各国が200カイリ水域の設定を行ったことで、日本の遠洋延縄船はそれまで操業していた漁場から撤退せざるをえなくなる。また、水産資源の保護の機運が醸成され、漁業生産量の国別割り当て、禁漁の設定が進んだ。その結果、漁船のトン数制限が行われ、最盛期1500隻とされた日本のマグロ延縄船は令和の現在、150隻ほどしか残っていない。
北村は「ライバルも出てきたんですよ」と言った。
「中国はラインホーラーは作っていませんが、台湾では作っていました。今はもう特許が切れたからどこの国でもラインホーラーは作れます。しかし、ラインホーラーといえば今でもまだ当社のものです。『イズイ無くして、マグロ揚がらず』。当社が作った言葉ではありません。現場の漁師たちの言葉です」
泉井鐵工所の主力製品はラインホーラーだ。だが、それ以外の漁労機械、そして、ウインチも製造している。
創業者であり発明家、元漁師だった泉井安吉は1967(昭和42)年、65歳で亡くなった。マグロ漁の最盛期に天に召されたことは彼にとっては幸運だった。やはり、安吉は幸運が付いて回る男だった。
※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年8月30日号)の一部を再編集したものです。