安吉が発明した「多板式クラッチ」
1929年、世界恐慌の年である。安吉は工場にいた。
「社長、これを見てくれないか」
地域の消防団の仲間が消防車を運転してきた。戦前のことだ。室戸で走っていた自動車といえばせいぜい消防車、トラックしかなかったのである。「どうも具合が悪い」
じゃあ、見てみるかと安吉はフードを開け、エンジン、足回りを調べていった。
「わかった。クラッチがすり減っている。交換すればいい」
クラッチの交換作業に取りかかった安吉の手が止まった。彼は立ったまま動けなくなった。安吉は「そうか。クラッチだったか」と呟いた。
クラッチは半クラッチにしてすべらせると、伝達元の回転を伝達先に伝えなくなる。一方で、クラッチを入れれば回転を伝えるようになる。ラインホーラーにクラッチという機構を入れれば、マグロがかかったとき、半クラッチにすればいい。そうすればマグロが逃げていくとき、幹縄が繰り出されていく。マグロが疲れてきたら、クラッチを入れて巻き揚げればいい。ラインをたるませたり、巻き揚げるにはクラッチを使えばいい。
安吉の発明とはつまり、これだ。クラッチを装備したウインチがラインホーラーだ。こうして、ラインホーラーは釣り糸をたるませることができるようになった。安吉は大小36枚の鉄板からなる多板式クラッチを考案、ラインホーラーに取り付けた。同時に特許も申請、取得した。
改良したラインホーラーは評判を呼び、次々と日本国内のマグロ延縄船の甲板に設置されていった。
「ひいじいさんには、会ったことはありません」
泉井鐵工所の社長、北村は言った。
「改良したラインホーラーはひいじいさんが営業して歩いたため、全国のマグロ船に載りました。多くの延縄船が先を争うようにしてラインホーラーを取り付けたのですが、大ベストセラーにはなりませんでした。1934年、室戸台風で室戸町は全滅に近い被害を受けたのです。復興するまでに数年はかかり、工場での増産ができなかった。その後、戦争が始まり、漁船は兵員輸送などに徴用されたため、マグロ漁をする船がなくなりました。さらに、戦争中、うちの工場は空襲で焼けてしまいました」