イギリス解体を防ぐには「EU再加盟」しかない
スナク前首相とスターマー新首相の政策を比べると、今回は庶民派のスターマー新首相に軍配が上がったことに納得がいく。
ただ、新政権に不安がないわけではない。一つはマクロ経済だ。スターマー新首相は大衆の暮らしぶりには敏感だが、逆にマクロ経済政策は未知数である。ここを間違えると、結局は庶民の生活が苦しくなってしまう。
幸い、イギリスは中央銀行のイングランド銀行がしっかりと機能し、市場もそのように評価しているのか、政権交代後もいまのところポンドは堅調だ。スターマー新首相の手腕には、もう少し観察が必要だ。財務大臣には700年の歴史で初めて女性のレイチェル・リーブスが任命された。労働党の影の内閣でも財務相をやっており、議員になる前はイングランド銀行で日本の分析などを担当していたエコノミストだ。
経済以上に心配なのが国内の独立問題である。実は今回の総選挙で印象的だったのは、北アイルランドでシン・フェイン党が18議席のうち7議席を獲得して第一党になったことだった。シン・フェイン党は過激派組織IRAの元政治部門であり、アイルランドと英領北アイルランドの統一国家建設を悲願としている。その政党が北アイルランドで最大勢力となったのだ。
北アイルランドはイギリス国教徒の移住によって、もともと暮らしていたカトリック系アイルランド人は少数派になっていた。しかし、カトリック系のほうが出生率は高い。時代とともに人口構造が変わり、今ではカトリック系がイギリス国教徒を上回る。それが選挙結果にも表れ始め、今回は初めて英議会選挙でシン・フェイン党が第一党になった。これで北アイルランドのイギリス離脱、アイルランド共和国との統一が現実味を帯びてきた。
この流れを後押ししているのがブレグジットである。保守党の敗因を分析したが、スーパーに物がなくて価格が上がったのも、医師や看護師が足りずに満足な医療サービスが受けられないのも、イギリスがEUを離脱した影響が大きい。関税や検疫が復活し、人々の移動の自由が制限されるようになったから物価高騰や人手不足が起きた。
北アイルランドがEU加盟国のアイルランドと統一されれば自動的にEUに復帰し、北アイルランドは人や物が自由に出入りできるようになる。北アイルランドにはそれを望む住民も多く、本気で離脱を望めば、イギリスにそれを阻止する術はない。
プーチン大統領がロシア系住民保護のためにウクライナに出兵したが、イギリスが国教徒保護のために軍を出すことは今の時代にはさすがに考えられない。そして北アイルランドが離脱すれば、スコットランドやウェールズもそれに続く可能性が高い。
この流れを変える方法はただ一つ。イギリスがEUに再加盟することである。あるいはスイスのように、EU未加盟のままシェンゲン協定(EU域内の移動の自由に関する協定)を締結し、さらにEU域内との移住の自由も保障した条約を締結する。EU側もそれを受け入れる可能性がある、と私は見る。
ところが、スターマー新首相は今回、公約にEU再加盟を意図的に入れなかった。ユナイテッドキングダムが解体されてイングランドアローンになる前に決断できるかどうか。スターマー新首相の試金石である。
※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年8月30日号)の一部を再編集したものです。