普通選挙と同時期にメディアの側が推し進めていた

【西田】一方で、早稲田大学マニフェスト研究所の調査によれば、今回の都知事選ではどの候補も政策が練られておらず、差別化もできず、公約達成の現実味も乏しいものだったとして、同事務局長は「厳しい言い方をすれば候補者は主権者を馬鹿にしている」(朝日新聞、7月1日付)とさえコメントしています。活字を読む中間層が動画に流れ、イメージで動員されてしまうと、この傾向はより加速するのではないかと懸念しています。

【大澤】そこも実は先ほどの話につながります。出版大衆化の起点となった円本ブームは、普通選挙(1925年制定)と同時期に起きています。それまで選挙権を与えられず、政治に関心がなかった人たちまで政治に目を向けざるをえない状況が生まれた。読者ではなかった人たちまで出版界や新聞界に飲み込まれるのと完全に並行していたわけですね。

出版や新聞はそんな新有権者や新読者にリーチすべく、政治家なり候補者なりの小難しい政策や思想ではなしに、キャラクターそのものを伝える工夫に精を出します。政治家の談話や座談会の掲載が増えたし、「ゴルフが下手」「歌が得意」といった人柄を想起させる紹介記事も増えた。多くの場合、容姿をデフォルメしたイラストが添えられます。

写真=iStock.com/Boris_Zec
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ジャーナリズム全体がヒューマンインタレストに支えられるのは以前からですが、まさに「イメージ政治」をメディアの側が率先して推し進めたのです。その結果、人々は政策の吟味ではなく井戸端会議的に人物の褒貶話ばかりしている。

若者のコミュニケーションは写真や動画になりつつある

【西田】むしろ動画コンテンツによって逆回転し始めているかもしれません。

【大澤】20世紀の人文系の学問は言語や理性を中心としたモデルで人間や社会を捉えてきました。ところが、21世紀に入ったあたりから、「情動的転回(Affective turn)」といって言語や理性の手前にある身体的な認知や感覚、例えば悲しいとか嬉しいとかいった感情の一歩手前の、動物的な次元に焦点が当てられるようになりました。

若い人たちのコミュニケーション・ツールの大部分も、言語を介することなく、写真や動画でやりとりするものになっています。「コミュニケーション資本主義」といって、そこにビジネスの論理も絡んでくる。西田さんの指摘する「イメージ政治」もそれと連動しているところがあって、私たちは「文字を使う動物」であるという前提が社会全体からなくなりつつあります。