美川憲一や清水アキラ、心を許した人には優しかった
「みんな同じ歌に聞こえるのよね。個性がないし、下手だし。聞いてて胸が悪くなってきて、食欲がなくなるんです。あんなんじゃない方がいいですよ。才能のある歌手や作家がいなくなったのかしら。だったとしたら戦争の後遺症ね」
「下手な人とは歌いたくないの。歌手でないカスと演歌は大嫌い。譜面も読めず、口移しで歌を覚えるなんて信じられません」
(「河北新報」1993年6月23日)
ちなみに、ドラマではスズ子を「下品」と言ったりつ子だが、淡谷が「下品」と顔をしかめ続けていた”天敵“のような人物と言えば、多くの人が思い浮かべるのがモノマネ芸人の清水アキラだろう。
「スポーツニッポン」(1999年9月26日)の「モノマネ番組で淡谷のり子さんと共演 清水アキラも涙」という記事では、清水が淡谷の誕生日に毎年花束を贈り、直筆のお礼状をもらっていたことが明かされている。清水は下品なネタの中にも上品さが必要だと淡谷に教えられたと言い、感謝を述べていた。
笠置とは正反対に恵まれた家に生まれつつも、没落により苦労を経験した淡谷のり子。しかし、クラシック出身のプライドと歌への情熱を持ち、たゆまぬ努力を続けた。そして、「毒舌」ぶりと「上品さ」と深い愛情をあわせ持っていた、生涯ブレない歌手だった。