後年の淡谷はモノマネ番組の毒舌審査員として有名に

ドラマではスズ子の化粧をいじるなど、毒舌イメージの強いりつ子だが、淡谷自身、晩年はモノマネ番組で見せた「毒舌」審査員の姿と「御意見番」的なイメージが強い。

こんな淡谷語録も語り継がれている。

「今どきの若い歌い手は歌手ではなく、歌屋でしかない」
(1971年、橋幸夫らを名指しで批判)

「私、ベチョベチョしてんの嫌い。演歌撲滅運動の会長になりたいのね。着てもらえぬセーターなら編まなきゃいいでしょ」
(1980年12月、コンサートでゲストの美輪明宏との対談にて)

「日本人は音楽がなくても生きていける民族性を持っているのね。レコード会社も歌手を使い捨てね。だから楽譜も読めず音声訓練もせず、音程さえいいかげんな幼稚なジャリタレが続々でてくるのね。あれは歌手でなくカスね。粗大ゴミよ。クラシック歌手のようにきちんと勉強し基礎訓練しなきゃあね。松田聖子、光GENJI……話にならないわ。まあ、岩崎宏美は上手だった」
(「東京夕刊」1990年3月2日)

85歳で新曲を発表し公演もこなし、生涯歌手であり続けた

また、淡谷が「ケンちゃん」と呼び、親しくしていた美川憲一は「スポーツ報知」(2014年6月14日)で、二人の出会いについて語っている。

それは、「柳ケ瀬ブルース」(1966年)が出たときの「ブルースの女王とブルースの新人歌手」という対談でのことだ。

「私、不思議なくらい物おじしないタイプだから。最初に会ったとき『こわいな、この化粧』と思って、ジーッと見てたの。そしたら、淡谷さんもこっち見ながら『かわいい顔してるじゃない。私の顔こわい?』って。正直に『はい』って言ったの。そしたら『これはね、化粧でこわくしてるのよ。本当は目は優しいの』って。『今度その目、見たいです』なんて言っちゃって。大先輩に向かってそんなこと言う人いなかったと思うの。『あんた、おもしろい子ね。無口な割に言うことは言うのね』。これがきっかけで、ずっとかわいがってもらったの」

なんと1993年には85歳で最新CD「揺り椅子」を発売している。

淡谷のり子、1981年12月1日
写真=時事通信フォト
淡谷のり子、1981年12月1日

当時の記事「超ベテラン歌手淡谷のり子/衰えぬ美声『揺り椅子』発売 ボケるからいつまでも歌を」(「河北新報」1993年6月23日)には、足こそやや不自由になったが、月5回程度のステージをこなしていることが明かされ、CDディスクのことを最近までクリスチャン・ディオールの略だと思っていたという驚き発言をしたかと思えば、最近の歌手について相変わらずのこんな毒舌を披露していた。