伝記には「吉本せいは息子の恋愛が許せなかった」
矢野誠一『新版 女興行師 吉本せい』(ちくま文庫)
「御寮さん」像と、伝記で書かれた吉本せいを読み比べると、正直、笠置の自伝は、ややきれいごとに見える部分がある。
例えば、「ぼんぼん」という項では、笠置は吉本せいの人となりについて「男まさりの方」「この御夫婦は誠に好一対で、どっちも太ッ腹で目先きが利いて、人の使い方がうまくて、度性ッ骨が強いという鬼に金棒のような気性」と評している。
そして、夫が37歳のときに心臓麻痺で急死したことに触れ、こう記しているのだ。
夫に先立たれ5人の子を亡くした悲劇的な人生
(笠置シヅ子『歌う自画像:私のブギウギ傳記』1948年、北斗出版社)
伝記によると、吉本せいは、息子と笠置の問題については「何も知らない」と語らなかったという。穎右が25歳で死んだことは悲劇だが、せいは夫に早く死なれた上、8人の子を産みそのうち穎右を含む5人が早逝したという、家族の死に目に会い続けた人生だった。そして、穎右が亡くなってから3年近く経った頃、60歳で生涯を終える。おそらく穎右と同じ肺結核だったと思われる。
その人生の中でも溺愛した亡き息子の子を産み育てる笠置に、見舞金1万円だけ渡し、存在を認めないままに死んだ吉本せいのことを、しかし笠置は自伝を読むかぎり恨んではいなかった。それどころか、女手一つで子供たちを育て、会社を大きくしたことを尊敬しているようですらあった。
それは、愛する人の母も愛そうとする笠置の情の深さによるものか、あるいは自身が産みの母を知らずに育ち、養母の死に目に会えなかったからこその憐憫だったのか。