吉本興業の御曹司は笠置と結婚したいと思っていたか

史実のエイスケは、早稲田大学を中退し、吉本興業の東京本社で重役の見習いをしていた。学校をやめたのは身体が弱いからだったが、見習いで劇団のプロデューサー的なこともしつつ、舞台稽古につき合い、慰労の酒席で飲み過ぎることもあったという。

自伝での「あれほどいろいろなスタアたちと遊んでいた人が、急に何処へも顔を出さず、私とばかりいっしょにいたので、おかしく思う人もあったらしいのですが」という表現からは、笠置が「スタア」よりも自分を選んでいる事実にのぼせあがっているような印象を受けるし、以下のくだりを読むと、ますますエイスケの印象が変わってくる。

「エイスケさんが卒業を前にして、むざむざ学校をやめて実地に入られたのは、ひとつには早く結婚したかったからではなかったでしょうか。私はもちろん、そんなことをせびった覚えはありませんが、エイスケさんにしてみれば、お母さんや叔父さんたちに早くこの話を切り出す環境を工作して置きたかったのにちがいありません。だから、私に舞台をやめてくれと幾度もせッついていました。愛情のこまやかな人でしたから、焼き餅もあったでしょう(実は私も大変な焼き餅焼屋なんです)」
笠置シヅ子『歌う自画像:私のブギウギ傳記』(1948年、北斗出版社)

女性が結婚する際に仕事を辞めるかどうかは、もちろん本人の意志が大事で、周りがとやかく口出しすることではない。それを前提としても、読んでいると非常にモヤモヤする内容だ。

写真=プレジデントオンライン編集部所有
映画『春の饗宴』(1947年)の笠置シヅ子(左)、池部良(中央)、轟夕起子(右)

「どうして歌手の私を家庭に閉じ込める気持ちになれるでしょう」

しかし、そうは書かないまでも、おそらく笠置自身もエイスケの身勝手さに全く気付いていなかったわけではないだろうと思うのが、言い訳のような、あるいは自分に言い聞かせているかのような以下の言葉をくどいほどに重ねていること。

「ですけれど、結婚の意志なくして、どうして歌手生活二十年の私を舞台から引きずり下ろして、家庭に閉じ込める気持ちになれるでしょう。私も、そうすることがエイスケさんを幸福にする道ならば、断ち切り難いキヅナも切って仕事を放擲ほうてきしようと思いました。

 私は小さい時から他人の中を抜き手を切ってきた女ですから、ウカツには人を信用しないのですが、一度信用すると、また相当のしつッこさなのです」
笠置シヅ子『歌う自画像:私のブギウギ傳記』(1948年、北斗出版社)

ここまで読むと、恋愛の真っただ中でエイスケに夢中の笠置の「エイスケ評」(自伝より)に感じた違和感が、より鮮明になる。