四半世紀ぶりに「金利のある世界」に戻る怖さ

「ゼロ金利政策」は、1999年2月、バブル崩壊・金融危機を受けて速水総裁時代に始まった。前述したように2000年、ITバブル景気に乗って一時解除されたが、翌年、ITバブルが崩壊すると復活。2006年に解除されるが、リーマンショックを機に再びゼロ金利に戻った。

以降、アベノミクス導入後もゼロ金利からマイナス金利に強化される形(2016年2月から)で継続してきた。「ゼロ金利」は、この25年、数年の合間を除いて継続してきたことになる(2024年3月にマイナス金利が解除されたことは後述)。

その四半世紀、我々は銀行預金をしても金利はほとんど付かないし、住宅や自動車ローンをはじめ借金をしても金利負担が少ない、歴史上きわめて稀な世界を生きてきた。それに慣れてしまった大多数の国民にとって、「金利のある世界」に戻ったときのリアルは恐ろしい。この間の住宅ローン金利は2%強以下がほとんどだったが、ちょっと金利が上がれば、借りる総額が巨額なだけに負担が大きくなる。

国家にとっても重い課題である。金利が上がれば国債費が増大する。財務省の試算では、金利が1%上昇すると、国債費は初めの一年で0.8兆円、3年目で3.2兆円の負担増になるという。消費税の1%分以上が吹き飛ぶ計算になる。

財政赤字にマヒしてしまったアベノミクスの問題点

「ゼロ金利」という「極端な政策」を取り続け、ぬるま湯に浸かりすぎた結果、我々は「構造改革」といった険しい道を避けて歩いてきてしまったのである。そして、いまだに異常な政策を「異次元」という言葉に変換して「金利のない世界」に生きている。その先に崖があるのがわかっているというのに。

アベノミクスの問題点として、財政についても指摘しておかなければならない。

文藝春秋と政権構想』(講談社)で指摘したように、第二次安倍政権ができてから、7年8カ月のあいだに発行された国債発行残高は200兆円も増えている。

2020年から2023年にかけての新型コロナウイルス対策として国債発行額が飛躍的に増えたのはやむを得ない側面もあるが、日銀を子会社化し、事実上の国債引受に等しいことをやり続けた結果、国債発行へのうしろめたさも軽くなってしまった。財政赤字に対して、国民も経済専門家もマヒしてしまったかのようである。

仮に、神のような視点で2000年代の日本の経済政策を採点ができるとすれば、どう評価できるのか。この二十数年、なけなしの財政を使って投資を促進し、イノベーションを起こしつつ民間の活力を引き出し、世界に冠たる新たな成長産業をつくりあげることができたなら、この数百兆円単位の借金も許されるところがあったであろう。