「兄の伊周は冷たくなった定子の体を抱き上げて号泣した」

かなりの脚色もあることを前提に、定子崩御直後の記事を紹介しましょう。

「御殿油近う持て来」とて、帥殿御顔を見たてまつりたまふに、むげになき御気色なり。あさましくてかい探りたてまつりたまへば、やがて冷えさせたまひにけり。あないみじと惑ふほどに、僧たちさまよひ、なほ御誦経しきりにて、内にも外にもいとど額をつきののしれど、何のかひもなくてやませたまひぬれば、帥殿は抱きたてまつらせたまひて、声も惜しまず泣きたまふ。(『栄花物語』)

(現代語訳)「明かりを近くに持って来い」と命じて、帥殿(伊周)が定子の御顔を拝見されると、まったく息のないご様子である。これは大変だと驚いて、お身体を手で探り申されると、たちまち冷たくなってしまわれた。ああ、とんでもない事になったと動揺している間、僧たちはうろうろ歩き回りながら誦経ずきょうの声を絶やさず、部屋の中でも外でも何度も額を床につけて大声で祈るが、何の甲斐もなくそのまま亡くなってしまわれたので、伊周は定子をお抱き申し上げ、声も惜しまずお泣きになる。

右が『権記』を書いた藤原行成。井上探景作「教導立志基 大納言行成」1886年(東京都立図書館/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

最愛の妻を亡くした一条天皇は対面できず悲嘆にくれる

ここには定子の兄の伊周が、妹の死に直面して惑乱し号泣する姿が詳細に記されています。次は、最愛の妻を亡くしてもその葬儀に立ち会うことさえ許されない一条天皇の悲しみを記した場面です。

内にも聞こしめして、あはれ、いかにものを思しつらむ、げにあるべくもあらず思ほしたりし御有様をと、あはれに悲しう思しめさる。宮たちいと幼きさまにて、いかにと、尽きせず思し嘆かせたまふ。(『栄花物語』)

(現代語訳)天皇も定子の訃報をお聞きになって、ああ、どんなに辛い気持ちでいらしたか、本当にもう生きていられないように思い沈んだご様子だったのに、といたわしく悲しくお思いになる。宮たちはとても幼くて、どうしているかと、限りなく心配しお嘆きになる。

天皇という立場上、定子への愛を貫き通せなかっただけに、悔やみきれない思いが残っていたことでしょう。幼い皇子たちへの父親としての思いも切実に感じられます。