鳴いているのは「きりぎりす」なのか

むざんやな 甲の下の きりぎりす 松尾芭蕉

前項のツバキの花の下に閉じ込められた漱石の句は、フィクションである可能性が高かった。それでは、甲(かぶと)の下にきりぎりすがいるこの句はどうだろう。

「むざん」は「無残」と書く。「むごい」とか「哀れ」という意味である。甲の下のきりぎりすが、哀れであると歌っているのである。どうして哀れなのだろう。

横溝正史の推理小説『獄門島』では、崖の上に置かれた釣り鐘の中に閉じ込められた死体が発見される。そして、殺人事件の重要な手がかりとなるのが、この芭蕉の俳句である。まさか、きりぎりすは、甲の下に閉じ込められているのだろうか。

虫あみや虫かごを持っていないときに、子どもたちが帽子でつかまえたチョウチョやトンボなどを帽子の下でつかまえておくことがある。この句も、誰かがキリギリスを甲の下につかまえておいたのだろうか。

そうだとすれば、やはり、きりぎりすはかわいそうである。

しかし、おそらく、そうではない。

すでに『古池に飛びこんだのはなにガエル?』188ページで紹介したように、もともと、「きりぎりす」は鳴く虫の総称だった。そして「きりぎりす」と呼ばれる虫の代表がコオロギだったのである。

平安時代の武将の甲を見て作った

芭蕉の句で詠まれたものが、コオロギだとしたらどうだろう。

甲は置いても、わずかなすき間ができる。

稲垣栄洋『古池に飛びこんだのはなにガエル?』(辰巳出版)

コオロギは暗いすき間に入り込むから、薄暗い甲の下に好んで潜り込むことはあるだろう。そして、甲の下でコオロギが鳴いていたのではないだろうか。

コオロギは自ら甲の下に入り、自分の意志で出たり入ったりすることが可能である。そうだとすれば、何も哀れではない。

芭蕉は無残な死を遂げた平安時代の武将、斎藤実盛の甲を見てこの句を詠んだと言われている。甲の下には実盛の首があったはずなのだ。そして、その首は無残に討ち取られてしまった。そして、今は何もなくなってしまった甲の空洞でコオロギが鳴いているのである。

甲の下で悲しくすすり泣くのは、実盛の霊だったのかも知れない。

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