取材先とベッタリなのは野球担当だけではない

だいぶ前になるが、相撲界で若乃花と貴乃花が「若貴時代」といわれ大ブームになり、連日満員御礼の下がった1990年代。私はFRIDAYの編集長だったが、相撲取材であれほど苦労したことはなかった。

記者クラブの席には入れてくれないから、仕方なくカメラマンと記者のチケットを法外な金額でダフ屋から買って、館内に潜り込む。席に座っていては決定的瞬間は撮れないので、なるべく土俵に近いところに移動しようとするが、警備員や相撲部屋の若い衆に止められ、追い出されることもたびたびだった。

ようやく“監視”の目をくぐって土俵の近くまでたどり着いても、新聞記者が警備に通報して叩き出されることもよくあった。

記者たちは相撲界と一体なのだ。協会側にタレこんでよそ者を排除し、憶えめでたくなろうと躍起になるから、批判記事など書けるわけはない。

先場所前、期待の若手・大の里が部屋の力士をいじめ、未成年なのに飲酒を強要していたと報じたのは週刊新潮だった。そのため相撲協会は渋々飲酒の事実があったことのみを公表した。いつまでたっても相撲界で「いじめ」が無くならないのは、記者クラブに入っているメディアの記者たちが、そうした事実を見て見ないふりをし続けているからである。

レジェンドに対しては「敗因分析」すらしない

競馬界の話をしよう。

1994年9月24日、私は英国のアスコット競馬場にいた。

武豊が騎乗するスキーパラダイスを見るためだった。同馬は前走でフランスのG1ムーラン・ド・ロンシャン賞を勝って人気になっていた。雨が降り続き日本の芝より長いターフのため、直線だけで追い込むことは難しいと思われた。だが、スキーパラダイスは少し出遅れたこともあったが終始後方のまま惨敗した。

翌日の英国スポーツ紙は一面で武の騎乗を厳しく批判していた。翻って今年6月23日(日曜)の「宝塚記念」。断然1番人気のドウデュースの武の騎乗を批判するスポーツ紙はなかったのではないか。だが、武はレース前「馬の出来は最高」といい、レース後は「負けたのは重馬場のせいではない」と語っている。

負けに不思議の負けなし。ほぼ最後方で並走していたブローザホーンは大外を回って差し切り勝ち。ドウデュースは直線で苦し紛れにインに突っ込んだがまったく伸びずに惨敗。なぜ、有馬記念のときのように早めに中団まで押し上げ、直線で抜け出す競馬をやらなかったのか。それで負けたとしても武の騎乗を批判する声は出なかったと思うが、あの乗り方は、私には解せなかった。

ベテラン競馬記者からは「競馬なんてそんなもの」という声が聞こえそうだが、60年競馬を見てきた私は、競馬界のレジェンドであっても批判すべき点があれば怯んではならないと考える。