スイスやノルウェーを見習うべき

時計のトップブランドで有名なスイス。チューリッヒ市は世界一物価の高い都市の1つである。(AFLO=写真)

先進国の高齢化経済ではいくらマクロ経済政策でお金をばら撒いても市場が吸収しない。資金需要がないからだ。スペインはそれに気づいて、若い移民を受け入れる政策を採った。一時は勢いを取り戻したが、それが今度は大量失業につながり、社会不安の原因になってしまった。

積極的な少子高齢化対策を打っても20年しか持たないのなら、日本の場合、このまま静かに衰えていくのが、“最適解”なのではないだろうか。

このままジリ貧ということは人々の欲望も徐々に衰えていくわけで、気が付いたらコンビニ弁当が20円安くなっているようなデフレの流れと歩調を合わせて自然に衰退していく――。日本が中央集権国家として生きていこうとするなら、それが一番平穏な道なのかもしれない。

反対に国際社会の主要メンバーとして存在感を示し、日本人として誇りを持って生きたいと願うなら、ジリ貧を招いている官僚主導の中央主権体制の国家モデルを変えるしかない。

アメリカに追い付け、追い越せで走り続けた日本は、今や中国に抜かれてガックリとうなだれ、さらには背中から聞こえてくるBRICsやほかの新興国の成長の足音に怯えている。しかし、これからの日本が目を向けるべきはアメリカや中国でもなければ、BRICsでもない。1人当たりGDPの高い日本が、スケールやボリュームで日本を追い抜き、追い越そうとしている大国と張り合っても仕方がない。

今、世界で本当に隆盛を極めているのはBRICsなどの新興国ではない。スイス、デンマーク、フィンランド、ノルウェー、アイルランド、シンガポールなど、人口が約500万~1000万人の小国である。それらの国々は政治のクオリティも教育のクオリティも、クオリティオブライフ(人々の生活の質)も、あらゆる面でクオリティが高い「クオリティ国家」なのだ。

たとえばスイス。人口800万人弱程度だが、国民1人当たりGDPは世界トップクラス。国内市場は小さいが、船舶用エンジンで世界最大手のスルザー、重電のABB、食品のネスレ、人材派遣のアデコ、製薬のノバルティスやロッシュ、クレディ・スイスやUBSなどの銀行、とトップクラスの世界企業が揃っている。スイスの人件費は高いし、為替も日本円と同じくスイスフラン高だ。しかし、それで文句を言うスイス人はいない。為替で一喜一憂するのは三流国で、クオリティ国家はコスト高を言い訳にしない。高くても売れる競争力ある商品やサービスを提供しているからだ。

かつて日本メーカーの攻勢でスイスの時計産業は壊滅的なダメージを受けたが、今や売上高で日本メーカーはスイスの三大時計メーカーの足元にも及ばない。世界のトップブランドの時計はすべてスイス製だ。

クオリティ国家がなぜ強いのか。それを真摯に研究することが、ポスト中央集権の日本の繁栄につながると私は考えている。

たとえばデンマークの人口は約550万人。北海道の人口もほぼ同じである。しかし、デンマークには質の高い農業や小さなマーケット(ニッチ)で世界トップクラスの企業が10以上ある。補助金漬けになって久しい北海道には自立できる産業は見当たらない。道州制の下、それぞれの地域がどうやって食べていくのか考える際に、世界のクオリティ国家は大いにイメージづくりの参考になるはずだ。

ジリ貧でたそがれていくのもいい。しかし、クオリティ国家への道を夢見るのなら10ぐらいのクオリティ国家を訪れて、どうして彼の国でそういう産業が成り立っているのか、自分の目で見てこいと言いたい。

明治期の近代化モデルとも、戦後の加工貿易工業立国の国家モデルとも違う、クオリティ国家の新しいイメージができてくれば、それを実現するためにやらなければいけないことが自動的に見えてくる。安倍首相の唱えるアベノミクスは20世紀の古いマクロ経済理論に基づくもので、しかも日本全体を対象とした中央集権モデルである。これでは日本経済は反転しないし、人々に活力も出てこない。北海道はデンマークなどの研究をする代わりに農業を保護するためにTPP反対、と相変わらずやっている。そんな自民党が戻ってきても日本がよくなる可能性はゼロだ。

最長不倒距離!で道州制を提案してきた私の立場から言えば、「統治機構の改革」や「道州制」という抽象的な概念だけでも状況は変わらない。そこに具体的なイメージを持たせ、新たなビジョンと道州間の競争が起こらなければ、日本は繁栄の道には戻れないと思っている。

※すべて雑誌掲載当時

(小川 剛=構成 AFLO=写真)