渋沢が生涯貫いた商工業の倫理

渋沢は野に下った後、民間人として、新設された第一国立銀行の頭取に招かれた。当時の日本にはまともな銀行すらなかったのである。これを皮切りに渋沢は様々な業種の会社を設立した。東京証券取引所、東京ガス、東京海上火災保険、王子製紙、東急電鉄、京阪電気鉄道、帝国ホテル、東洋紡、明治製糖等々すべて渋沢がその設立にかかわったか、かかわった会社の「子孫」で他にも数えきれないほどある。

特筆すべきは、渋沢がそれらの企業をグループ化して三菱財閥のような財閥を作らなかったことだ。この点、渋沢は三菱の創設者である岩崎弥太郎とは考えを異にしていた。

井沢元彦『歴史・経済・文化の論点がわかる お金の日本史 完全版 和同開珎からバブル経済まで』(KADOKAWA)

渋沢がそうしたのは商業道徳、企業倫理を確立するのが生涯の念願だったからだろう。もちろん直接の敵は朱子学である。渋沢はのちに「朱子学の罪」と題する講話の中で、孔子は必ずしも商業を悪とはしなかったのに、その教え(教旨)をゆがめたのは朱子だと厳しく批判している。原文を引けば「この孔子の教旨を世に誤り伝えたものは、宋朝の朱子であった。孔子は貨殖富貴を卑しんだもののように解釈を下し、貨殖の道を志し富貴を得る者をついに不義者にしてしまった」(『渋沢百訓』角川ソフィア文庫より一部抜粋)。

これではソフトバンクの孫正義さんも「ホリエモン」こと堀江貴文氏も全部「極悪人」になってしまう。もちろん現代人はそんなことは夢にも思わないだろう。渋沢の意識改革が完全に成功したからである。

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