「子育て支援」から「おひとりさま支援」へ

具体的には、これまで政府が続けてきた「子育て支援」というバラマキ政策を見直す。その代わりに、「おひとりさま支援」として、全国同一賃金を目指した最低賃金の引き上げや、単身高齢世帯への家賃補助なども充実させていく。つまり、結婚をせず子どももつくらない「孤独な人」であっても不安なく人生をまっとうできるような社会をつくるのだ。

「おいおい、子どもを増やさないといけないって話をしているのに、孤独な人を増やすなんて、こいつの頭は大丈夫か?」と失笑をされる方も多いと思うが、実はそういう考え方こそが「出産・育児は罰ゲーム」という社会をつくってしまった元凶だ。

「子どもを増やさないといけない」という問題意識のベースになっているのは、「人は子どもを産み育てるのが当たり前」という価値観である。が、実はこれはちっとも当たり前の話ではなく、ほんの140年ほど前に明治政府が富国強兵のために叫び始めた「戦争学」に基づく考え方である。

当時の戦争は白兵戦なので、人口が増えれば増えるほど国力につながる。だから、明治政府は「産めよ、殖やせよ」という国民教育に力を入れた。

江戸も令和も「ひとりでいるのは当たり前」

では、それ以前の日本人はどうしていたのかというと、「子どもを産み育てる人もいれば、死ぬまでひとりでいる人もいるというのが当たり前」だった。特に都市部では「おひとりさま」のほうがデフォルトだった。

例えば、『幕末江戸社会の研究』(南和男・吉川弘文館)によれば、江戸の町人は約50万人いたが、そのなかで男性は32万人、女性18万人という「男あまり社会」で、男性の生涯未婚率も50%ほどだった。つまり、少子化が叫ばれる現代日本とそれほど変わらない社会だったのだ。

「出産・育児は罰ゲーム」というムードが強まっている理由がここにある。もともと日本では「死ぬまでひとりでいる人がいるのも当たり前」で令和日本もそうなっている。しかし、政府はそのような現実から頑なに目を背けて、国民にいまだに明治時代の「産めよ、殖やせよ」という政策を押し付けている。つまり、現実と乖離した「不自然」を国民に強いているのだ。

自然に反することをさせられた人は強いストレスを感じる。だから、国が結婚や出産をゴリ押しするほど、若い人たちは嫌がらせのように感じて逃げていくのだ。その悪循環をさらに加速させているのが、実は「子育て支援」だ。