「家庭に無関心な父」と「子どもを支配する母」

【斎藤】朝日新聞で、母と娘の難しさに関する特集記事が出たのは90年代末でした。これは、90年代の総括という意味合いもあったのでしょう。70年代くらいまでは、母が娘を支配するのは当然とまで思われていました。そのため、問題が表面化することはほとんどありませんでした。

90年代以降は「アダルトチルドレン」のブームがあり、「毒親本」の先駆けのような本が出たり、親を批判してかまわない、親は批判されるべきといった空気が醸成されたりして、そこから一気に噴出してきた感はありました。

【菅野】虐待した親への手紙を公募して1冊にまとめた『日本一醜い親への手紙』や、さまざまな自殺の方法が書かれた『完全自殺マニュアル』(鶴見済著)といった本が出たのも90年代でした。

当時はどこか、世界の終わりに一発逆転でのぞむような雰囲気がありましたよね。まさに、こうしたカルチャーのど真ん中で多大な影響を受けたのは事実です。そして、それが私自身にとっても、この閉塞した時代の風穴になりました。

私は郊外のベッドタウンで育ち、母が専業主婦だったのですが、先ほど斎藤先生がおっしゃっていた90年代の母娘関係が生まれたのは、そういった背景もあったのでしょうか。

【斎藤】郊外の影響がどの程度あったかはわかりませんが、外から平穏に見える家庭の中にもいろいろな悩みがあって、それが神戸連続児童殺傷事件(1997年)の酒鬼薔薇聖斗のようなかたちで出てくるというストーリーがつむがれやすい状況はあったのでしょう。

ただし、基本的なフォーマットは、それ以前からあったような「家庭に無関心な父」と「子どもを支配する母」、「それに苦しむ子ども」という組み合わせでした。

「友達になるか」「虐待するか」の二者択一

【菅野】それが、2000年代以降にどのように変容していったのでしょうか。

【斎藤】支配という発想が希薄になり、「友達になるか」と「虐待するか」の二者択一になってきたように思います。

【菅野】最近は、肉体的虐待だけではなく、親の過干渉が多いと聞きます。

【斎藤】「教育虐待」といわれるものも、その一つです。

【菅野】教育虐待も比較的最近使われるようになった言葉ですよね。

【斎藤】虐待件数は近年、ますます増えているといわれています。実数が増えているのか、認知件数が増えているのかは判然としませんが、統計上は増えています。

虐待の研究からわかってきたことは、虐待を起こすような親には、子どもを自分の“所有物”として扱うという特徴があるということです。自分の役に立つものであるうちはフレンドリーに接しますが、「使えない」とわかったとたんに粗末に扱ったり、虐待したりする。

両極端なんです。人間扱いから遠ざかっているといってもいいかもしれません。最近はそのような傾向が特に顕著ではないかと感じています。

撮影=大沢尚芳
菅野久美子氏。