知多家のタブー

筆者は家庭にタブーが生まれるとき、「短絡的思考」「断絶・孤立」「羞恥心」の3つが揃うと考えている。

母親は自分の兄に「優しくて堅実な男だ」と勧められたからといって、よく知りもしない父親との結婚を選んだ。一方父親は、結婚直後に無計画に退職。その後も、家族に相談も報告もなく仕事を辞めてしまい、働きに行こうとしなかった。

知多さんの両親はどちらも場当たり的で極めて短絡的志向の持ち主だったといえる。そして、北海道出身で関東に出てきた両親は、社会から孤立していた。実際、母親は兄を出産した頃、孤独さにさいなまれるあまり「我が子を愛せなかった」と話している。コミュニケーション下手な父親も社会から孤立し、酒に溺れていった。

知多家の悲劇にはルーツがある。

父方の祖父は、知多さんが中学生の頃に亡くなった。その知らせを聞いた父親は、泣きながらお酒をあおっていたという。

父親は自分の父親が好きだったのだろう。だが、父方の祖母は支配的で過干渉な人だったらしく、父親は幼い頃からプレッシャーを感じながら育ったため、大人になってからも折り合いが悪かったようだ。

父方の祖父は、支配的で過干渉な妻(父方の祖母)を静止できなかった。知多さんの父親は、幼い頃からそんな母親(父方の祖母)から与えられるプレッシャーで萎縮し、自分に自身が持てず、コミュニケーションが上手くとれない大人に成長したのかもしれない。

一方、母方の祖父は大の酒好きで、酒癖が悪かった。漁師だったが、他界するずいぶん前から働いていなかったため、母方の祖母が家計を支えた。母親の兄は、早くに亡くなった父親に代わり家の中で威張り、次兄や母親、弟はみな、支配的で独善的な長兄を良く思っていなかったらしい。母方の祖母も次兄も母親も弟も、長兄の顔色を伺い、言いなりになっていたようだ。

母方の祖父母の家庭は、知多さんが育った家庭そのものだ。知多さんの母親は、酒好きで酒癖の悪い自分の父親と、懸命に家計を支える母親の姿を見て育ったため、我が家が同じ状態になっても“普通”だと思っていたのだろう。

さらに、母親の長兄は、知多さんの兄に似ている部分も多い。知多さんは「母方の祖母はおっとりした優しい人」という印象だと語るが、それはバイアスがかかっている可能性もある。もしかしたら母方の祖母は、酒癖の悪い父親を持った子どもたちへの罪悪感から、子どもたちを甘やかし、その罪から目を背けるために「家計を支える」ことに没頭してきた人なのかもしれない。

こうしてみると、知多さんの両親は、2人とも共依存体質だった可能性が高い。父親は自分の父親に。母親は自分の長兄に依存していたが、結婚し、慣れない土地で暮らすうち、体質も影響し、お互いに依存するようになった。それは知多さんの兄にも受け継がれているように感じる。

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知多さんは、そうした「家族」を心の底から嫌悪した。