真面目だから罪を犯さないわけではない
人気のあった芸能人が不祥事を起こすと総叩きに遭ったり、景気がよかった頃はもてはやされていた経営システムが、景気が悪くなるや全否定されたりと、日本人は極端から極端に振れやすく、「中道」とか「ほどよい」「適当」というものがあまりない国民性だと感じます。
それは、テレビの悪影響もあると思います。テレビは基本的に、ものごとをいいか悪いかに単純化して見せることを志向するメディアで中間を認めません。
たとえば、事件を起こした人が「普段は真面目だった」などと、さも意外であるかのように報じます。真面目な人が追い詰められて罪を犯すことなど、当然あり得ることなのに、単純に罪を犯したのだから「悪いやつ」だと決めつけているのです。
私が精神科医として、テレビ番組で犯人の人物像についてコメントを求められたとしたら、いろいろな可能性があることを前提に話をすると思いますが、それでは放送時間内に収まらないからと、遮られてしまうでしょう。
しかし実際、ものごとにはいろいろな可能性があります。人間関係においても、「ほどよい加減」の距離をとるためには、白か黒かの極端な思考から脱却することが必要なのです。
お見合い結婚で離婚が少ない理由
親子や夫婦、親友など、「近しい関係であれば何でもわかり合える」というのは幻想です。
「夫婦なんだからわかってくれるはず」などと、つい思ってしまいがちですが、「夫婦は他人の始まり」です。
夫婦だからといって、考えが何もかも一致するわけではありません。どれほど熱烈な恋愛の末に結婚した相手でも、一緒に子どもを育てたり、親の介護に直面したりするうちに、「この人とは一心同体と思っていたけど、そうじゃないんだ」と気づかされることが、いくらでも出てきます。
かつて主流だったお見合い結婚は、何でもわかり合えるという期待を、互いにあまり持たない地点からスタートするので、結果として離婚が少ないとも言われます。
相手に過度な期待をしない。それが「いい加減」なつき合いのポイントです。
一方で、距離をとりすぎて、相手に「水くさい」と思われてしまうこともあります。本当に困っているとき、問題が深刻であるほど、親しい人にも頼るのを躊躇してしまうものです。
そこで思い切って頼ってみたときに、断られたり、冷たい対応をされたりする可能性もありますが、「なんでもっと早く言ってくれなかったの、水くさいじゃない」と言われることもあります。
そして実際には、どちらかというと後者のケースのほうが多いと私は思います。もっと素直に相手に頼ればいいのに、頼っていないということです。
近い関係性であるほど、相手に過度な期待をすることがある一方で、頼ればいいのに頼らない、「助けて」と言えばいいのに助けを求めないことがあるように思います。近すぎると同時に遠すぎる。「いい加減」ではないのです。
また、人目を気にしがちな人も、相手に何も言われていないうちから、先回りして自分の行動を抑制しているという意味では、人と距離をとりすぎていると言えます。そこはもう少し他人を信用してもいいのではと思います。