1870年にスタンダード・オイル社を創業したジョン・ロックフェラーは、「石油王」とも称された大富豪。彼が1930年からこのビルの建設を始めたのは、1929年に起きた大恐慌からの復興もひとつの目的だったかもしれません。これだけのビッグ・プロジェクトとなれば、大きな雇用が生まれます。

ジョン・ロックフェラー(写真=PD-US/Wikimedia Commons

また、このために買ったニューヨークの5番街と6番街は、それまであまり土地として値打ちがありませんでした。そこに新しい超高層ビルを建てれば、落ち込んだ景気の浮揚にもつながるでしょう。

フッドとハウエルズの設計は、シカゴ・トリビューンのコンペで2位になったサーリネンの影響を受けていました。上に行くほど細くなっていますし、垂直のラインも強調されています。その意味では、ル・コルビュジェ的なモダニズムとは少し違うかもしれません。

ただし、ゴシック風の装飾はまったくなくなりました。しかし一方で、建物の周囲や内部は、アール・デコ風の彫刻やレリーフ、壁画などで飾られています。

ロックフェラー・センター(写真=David Shankbone/CC-BY-SA-3.0-migrated/Wikimedia Commons

仕事を失った芸術家支援で花開いた「大恐慌アート」

この頃の米国では、ニューディール政策の一環として、大恐慌で仕事を失ったアーティストを支援するプロジェクトが実施されました。それによって街角にパブリック・アートとしての彫刻などが建つようになり、「大恐慌アート」とでも呼べるようなムーブメントが起こります。

メキシコの画家ディエゴ・リベラ(1886~1957)も、そんな時代の米国で活躍したアーティストのひとりです。1933年に、彼はロックフェラー・センターに「十字路の人物」と題したフレスコによる壁画を描きました。

ところが、熱心な共産主義者でもあったリベラは、そこにアメリカの建国者たちと並べてソビエト連邦の指導者レーニンの肖像も描いたことで、各方面の顰蹙ひんしゅくを買います。そのため、彼の壁画は完成する前に破壊されてしまいました。

個人的な話になりますが、僕が通っていたサンフランシスコのジョージ・ワシントン高校の校舎もそれと同じぐらいの時代に建てられたもので、ロビーにはアール・デコ風の壁画がありました。初代大統領ジョージ・ワシントンの生涯を描いたものです。

数年前に、その壁画をめぐる騒動がニュースになったことがありました。その中に、ワシントンが奴隷を使っている場面が描かれていることを問題視した人たちが、「その部分を消してしまえ!」と主張し始めたのです。