その後、厳しい処分も受けず検事総長になった
a 二回目に同様の犯罪を行った際に、懲戒免職になった。
b 二回目に同様の犯罪を行った際に休職処分となり、辞職願を提出した。そのため退職
金を得て退職した。
c 三回目に同様の犯罪を行った際に、懲戒免職になった。
d 検察官として出世はせず、地方検察庁の長である検事正などの役職には就かないで定
年を迎えた。
e 地方検察庁の検事正となって定年退職した。
f 地方検察庁の検事正をしていたときに、飲酒の上、今度は他人の民家の屋内に入り込
み、懲戒免職となった。
g 高等検察庁の検事長になって退職した。
h 検事総長になった。
このように飲酒して、他人の家の庭に勝手に入り込むような酒癖の悪い検察官は辞めさせたほうがいい。きちんと起訴して刑事罰を与えるべきだ。その後もまた同じことをしたというのだから、初回のときに厳しく処分しておくべきだった……。多くの読者は、このように考えているのではないだろうか。
しかし、もしこの検察官をそのように処分していたら、ロッキード事件の田中角栄元首相に対する有罪判決はなかったかもしれない。正解は“h”である。
田中角栄を有罪に導いた「ミスター検察」でもあった
この検察官は、じつは、のちに検事総長となる伊藤栄樹である。伊藤栄樹は、田中角栄元首相を有罪へと導いた検察庁の裁判時の刑事局長であり、中心的な役割を担った検察官である。
有罪の一審判決を受けた際の最高検察庁の次長検事であり、控訴審では検察庁の最高位の検事総長となっていた。彼が、その能力を見込まれて東京地検特捜部を経験し、その後、検事総長まで昇りつめる人材でなかったならば、ロッキード事件の公判を維持することはできなかったであろう。仮に、この侵入事件で処分されていたならば、日本の歴史が変わった可能性は十分にある。
田中角栄に立場が近かった秦野章法務大臣は、伊藤栄樹が検事総長になることを阻止しようと策を尽くしたが果たせなかったという逸話もある。伊藤栄樹は「ミスター検察」とまで言われ、検事総長就任時には「巨悪は眠らせるな」――「巨悪は眠らせない」として知られている――という名言を残した。しかし「巨悪」を逃してしまうことはなかったろうか。「巨悪」だと思って追及したものが、じつは、結果として「小悪」だったということはないだろうか……。