緊急避難場所すら知らない観光客
「イカの駅つくモール」に来るのは主に町外からの観光客だ。日本海側の津波の早さを知らない人が多いだろう。緊急避難場所が県道を上がった標高43mの地点だということなど知る由もない。そもそも、町は「イカの駅つくモール」に、白丸地区のような避難路の案内看板を立てていなかった。
元旦で休業していたから良かったものの、大勢の観光客がいたら、地元住民のように素早くは避難できなかったに違いない。
「イカキングを復興のシンボルに」と聞いて複雑な表情をする住民が多いのは、こうした背景があるからかもしれない。
他の理由もあるようだ。
近くの事務所で働いていた2人の女性は「岩手県陸前高田市の『奇跡の一本松』のような存在にしたいという声もあるようですが、東日本大震災の想像を絶する津波に耐えた一本松とは全く違います」と話す。
陸前高田市では1750人を越える死者・行方不明者が出た。海沿いの集落や市街地は壊滅し、約7万本ともいわれた「高田松原」もほとんどが流された。そうした中で耐えて残ったのが「奇跡の一本松」だった。
「イカキングの浸水は数十cmだったそうです。1階が水没した家もあり、危険な津波ではあったのですが、固定されていたイカキングが海に持っていかれるようなことはなかったと思います。ちょっと見出し先行なのかなと感じます」と、2人は顔を見合わせる。
苦労して生活を続けている人の被害は見えなくなっている
2人は「むしろ被災住民の深刻化している窮状に目を向けてほしい」と話していた。
「『被害が見えなくなっている部分』があるのです。例えば、下水道だけでなく、合併浄化槽の復旧もなかなか進みません。避難所が近ければトイレを借りることができますが、高齢で車を運転できないとなかなかそうはいきません。
結局、家で簡易トイレを使い、燃えるゴミに出さざるを得ないのです。凝固剤を使うタイミングによっては臭いが大変ですし、ゴミに出す時に重いので、大家族や高齢女性の独り暮らしでは、困ってる人がいると聞きます。避難所にいれば、被害が見えますが、家で苦労して生活を続けている人の被害は見えなくなっているのです」と熱く語っていた。
下市之瀬に住む80代の女性は「この集落も寂しくなったね」と悲しそうだった。
「そうでなくても高齢化した集落だったのに、子供の家に身を寄せている人が多く、実際に住んでいるのは半分ぐらいに減っているのではないでしょうか。そのまま戻って来ない人もいるだろうから、集落としてどうなることやら」
「イカキングは確かに賑やかしにはなるでしょう。でも、地元の集落がこんなになってしまってはねぇ」と、うつむく。
人々の「鈍い反応」の奧には様々な思いがあった。
写真=葉上太郎
〈「防災対策を行政に要望していたのに、対応してくれなかった」能登半島地震発災前から危険を訴えていた地域住民の指摘〉へ続く